マメタが亡くなって9日 猫の不思議
ハロウィーンですね。
マメタが亡くなり今日で9日目。
マメタが家にいないことにまだ慣れないけれども少しずつ受け入れてきているのかなと思います。
実はマメタが亡くなった週
私にとって大事な猫ちゃんが二匹。
マメタとかなりの時間を共にすごした二匹が同じ週に亡くなったのです。
一匹はカナダに住む姉の猫。
マメタとは6年間、私が日本に帰っている間と家を買うまでの間、一緒に住んでいたマメタより1歳上のおばあちゃんでした。
マメタよりもずっと健康で、きっとまだまだ生きると思っていたのに
マメタが悪くなるちょっと前一気に体調が悪化し、マメタより4日前に亡くなってしまいました。。
もう一匹はうちに合計2年ほどでしょうか、住んでいた友人の猫。
こちらは純血種のロシアンブルーでしたがまだ12歳で、まだまだ生きてくれるだろうと思っていた子です。マメタが亡くなる5日前、急性腎不全になり、亡くなってしまいました。。。
あんたらなんやねん!!と言いたくなる一気に来た死に、私は猫のテレパシー的な絆を勝手に感じてしまいました。
3匹ともほんとに良い子。
寂しくないように一緒に逝きたかったのかなあと家族と友人と話しました。
こっちは寂しいったらありゃしません。
そしてまたなんだか不思議な出来事が。
マメタが亡くなって一週間。
マメタが一緒に寝てくれない、起こしてもくれない夜と朝がつらすぎて
マメタにどうすればいいんだい。私はマメタとのお別れを乗り越えられるんだろうか。
なんか教えてくれよ~と、マメタのいない彼のベッドに話しかけました。
次の朝、仕事のキャンセルが出たため、少しゆっくりめに準備をし、
木がのびまくっていたので、ちょこっと剪定してやろうと梯子にのって横庭の木の枝をパチンパチンやっていたところ、
塀のむこうから来た犬を連れたおばさんが
「すみませーん。この犬知ってますか?ここら辺に住んでる子ですか??」
と聞いてきました。
私は犬を見るために外に出ていきました。
ちょっと太った小汚いプードルとシーズーかなんかのミックスっぽいワンコがヘッヘッって言いながらロープにつながれていました。
ここのストリートの犬も猫もすべて把握している私は、このストリートの子じゃないですよ。とお伝えしたところ、
「私そこの学校で働いてて、この子学校の中さまよっていたのよ。どうしようかしら」と仕事中で困っていたっぽいので、
一時間以上時間のあった私は、
ほんじゃ私が飼い主ちょっと探して、見つからなかったらシェルターに連れていきますよ~といいました。
どう考えても飼い犬だけど、(毛はトリミングされていた)臭いし、汚いし、年寄りっぽい。歯も削れてるし首輪もない。
とりあえずお水飲ませようと家に連れていくと
我が物顔で入る犬。
ふんふんいろいろ嗅ぎながらさまよっている。
家にいた旦那に、ねー、この子シェルター連れていきたいんだけどといきなり犬を見せました。
犬好きな旦那は、
はあ。まじかよ。。。といいながらナデナデ。
お前どこから来たんだ?おい、かわいいな。
と気に入った様子。
でもどうみても飼い犬、または飼い犬だったっぽいからいちおうシェルターに届け出て、飼い主が名乗り出るか待ってみようとということになりました。
旦那にしてはめずらしく、
もし飼い主いなかったらこの子は引き取ろう。と発言!!
なんと!
まだマメタなくなって1週間だから私準備できてなかったけど
だんながゴーサインを出すのはめちゃめずらしい。
そして動物が家にいる温かさを一瞬でも感じさせてくれたワンコ。
ああ、思ったより、私ペット迎え入れるの大丈夫かも。と思いました。
シェルターに連れていき、迷い犬はすぐにウェブにあがるので、その日一日たびたびチェックしていたのですが、夕方にはこの子の写真は消えていました。
つまり飼い主さんが現れたのですね。
あまりにもケアされてない感があって納得できなかったものの
しょうがない。
運命の子か??なんて思ってしまったので、残念でしたが。
人生、そううまく運命の子、落ちてないですよね。笑
しかしそのシェルターのサイトを見ているとき、つい猫の方もちらりと見てしまったのです。
したら
マメタそーーーーーっくりの子猫がいるではないですか!!
いやいや、まさか。マメタ2号。。。
たしかに昨日の夜マメタにどうしたらいい?って助けをお願いしたけど
迷い犬がいなかったらシェルターのサイトなんてまだ見てなかったけど
でもっ。こんなにそっくりの子が今いるなんて。。。。
どうやら兄妹でシェルターにいる様子。。。
いや、忘れよう。まだ早すぎる。
マメタに悪いじゃねーか。
と思っていましたが
忘れられん。。。。
息子にも写真を見せたら、息子が
マメタ~~~~~~!!!!マメタとそっくりだね。ママ。
この子、引き取ろう!!女の子の兄妹も一緒に、二匹、飼おうよ!マメタ2とマメタ3だあ。
と。。。。
ああああああ。どうしよう。
と今迷っているところです。
木曜日まで引き取り可にならないので
今週少し考える時間も準備する時間もあります。
でもやっと今日、マメタの使っていたブランケットと、外で使っていた猫ベッドを洗うことができました。出窓のとこにあるのはまだ洗えずにいますが。。。
マメタのにおいとか、よだれとかついたままのブランケットとベッド。洗えなかったんです。マメタの痕跡がなくなってしまう気がして。寂しすぎて。
でもシェルターにいる犬猫たちを見て、マメタはいい一生送れたんだよな。。と思うことができた気がします。こんなにたくさん、家がなかったり、飼い主に諦められたり、捨てられた子たちがいるのに。。
迷い犬ちゃんが現れたことで、私は一歩進めたような、そんな気がしています。早いだろ!!という気もしますが。笑
また新しい子を迎えて、家族になってもらおうって。
やっぱり猫には不思議な力があるんでないか。。。そんな風に思っちゃいます。
まだまだ涙は出るし
マメタを想う気持ちは変わらないです。
いつまでもいつまでも最高の優しい猫です。
どうなるかわからないけど、
ちょいと流れに任せてみます。
私の黒猫人生は続くのかもしれません。笑
一緒に住み、同じ週に他界した友達の🐱。😿😿 マメタの弟分でした。
こちらはカナダの姉の🐱。😿😿 ちょっと毛が長い黒猫ちゃんでした。マメタのアネキ分です。
今頃虹の向こうでみんなで日向ぼっこしてるかな。そうだといいな。。。
私の大切な黒猫マメタ 扁平上皮癌の闘病と、さようなら
もう何か月もブログを書いていませんでした。
今年に入ってからうちの息子は大変だったし、
1月からは黒猫マメタの腎臓病も進み、家で輸液をする治療が始まりました。
看病と仕事と息子と旦那と、毎日忙しく過ごしていて、何も書く気になりませんでした。
私の大切な大切な黒猫マメタが三日前に亡くなりました。10月22日。夕方5時過ぎ。
(今年の春、日向ぼっこをしていたマメタ)
(まだ二年前の元気な頃のマメタ。)
彼の患った病気は飼い主さんがなかなかに治療や看病に苦労する病気だったので私の気持ちの整理のためにも書くことにしました。
誰かの参考になったらって思うし、長くてすみませんが私自身のために書きます。
今年1月、マメタを検診に連れていきました。
腎臓病は去年既にステージ3の数値になっており、甲状腺のお薬はすでに2019年より毎日とっていました。
獣医さんには腎臓の数値は悪くなってきていて、脱水症状が進んでいるので家で輸液を始めるかどうか決めてくださいと言われました。
獣医さんには輸液をしたらもちろん猫の体は楽になるはずだと言われ、私はまだ彼に逝ってほしくなくて、そして何より苦しませたくなくて、治療を始めました。
甲状腺機能亢進症の薬は朝、夜と一日2回。
輸液の点滴は週に3回。
輸液を始めてからのマメタは元気を取り戻し、毎日の生活に戻りました。
覚悟はしていたつもりでした。
いつなくなってもおかしくない17歳という年齢。
今年7月あたりからよだれを垂らすことが増えました。
しかしデルタ株のコービッドが急速に増えだした7月、なかなか獣医さんの予約が取れませんでした。
8月の後半に予約はできたものの、どうも様子がおかしく、口が臭くなってきたマメタをみて、獣医さんに予約を速めてもらい8月の最初の週に獣医さんに連れていくことができました。
そこでの診断は癌。
口腔内にできる癌で、おそらく扁平上皮癌であろうと。
800ドルもかかる検査をし、その診断を確定しました。
予後は非常に悪く1ー3か月。マメタの場合持病もあるからおそらく持って1-2ヶ月。
年を考えても、すでに輸液が必要な進んだ腎臓病がある状態であることも考慮して、緩和医療を勧められました。
私もこれ以上治療を続けるのは酷だと思っていたので、痛み止め、抗炎症剤だけで残りの日を過ごしてもらうことに決めました。できるだけ平和に、苦しくなく過ごしてほしい。
泣きました。
どんなに覚悟してても、いつかは訪れる別れ。
想像するだに辛すぎて。。。
8月からはお薬が3種類に増えました。
抗炎症剤兼痛み止めを2日に1回。
点滴はそのまま週3。点滴をしすぎると貧血になるからということでした。
そして甲状腺のお薬も毎日。
その後は私は仕事しながらも献身的にお世話したと思います。
仕事でキャンセルが出たりすると合間に家に帰り様子を見に行きました。
いつお別れが来てもいいように、後悔しないように、大好きだよ、いつもありがとう、いい子だね、と毎日伝えました。
8月、そして9月の最初まで、マメタはだいぶ調子がよさそうで、毎日のルーティンを楽しんでいるようでした。
朝5時に私を起こしに来て、裏庭に行く。
トイレを済ませるとまた戻ってきて布団の中で、私の腕枕でもうひと眠り。
6時半に私と一緒に起き、今度は家の表のパトロール。
私が朝食を準備している間にクリームチーズをひとなめするのをねだる。
クリームチーズのあとはお薬をとり、今度は一人で私のベッドルームに向かい、朝のお昼寝に入る。私たちが仕事と学校に行っている朝の間はほぼ寝て過ごしていたようです。
トイレに行くのが億劫になってきており、家の裏のドアを少しだけ開けておくのも私の日課になりました。ガレージにおいてあるトイレも猫用ドアをくぐるのがきつくなっていたので、ガレージに続くドアも半分開けるのが私たちの日課になっていました。
9月のあるころ、マメタが薬を嫌がるようになりました。
まるでもう薬なくていいからっていってるように。
彼の眼をみると、もういいよ、ママ。もう頑張らなくていいよ。と言われてるようで。
点滴も今まで文句言わなかったのに、文句をいうことが増えました。
朝のお薬をものすごく嫌がるようになりました。
口の中の癌はみるみる大きくなり、顔が少し曲がってきました。
でも点滴をうつと体が楽になっているのがわかる。
薬を試しに辞めてみると体はつらそうになるのがわかる。
だからすぐにやめられなかった。
9月中旬から、安楽死をいつにするかを毎日考えるようになりました。
いつ、どのタイミングでしてあげるのがいいのか。
この癌は食欲は減退しないのに、癌が大きくなって気道や食道が圧迫され
食べたいのに食べられない。飲みたいのに十分に飲めない。また広がりかたによっては気道が圧迫されて窒息する、という酷な病気です。
この性質により、安楽死のタイミングが非常に難しく、安楽死をしないとなると、猫にはかなりの苦痛を経験させることになるということを言われました。
獣医さんも最後は安楽死をすすめました。これ以上マメタがマメタらしい生活ができなくなったと思ったらその時がタイミングですよ、と言われました。
しかしそのタイミングが難しい。。。
9月の終わり、元気がなくなって2日間ほとんど食べないことがありました。
朝のルーティンもしなければ、ずっと寝ている。トイレはまだしてるけど、食べることがいっきに少なくなりました。膝にも乗ってこない。
覚悟を決めて家でできる安楽死の予約をしました。
予定の日の3日前から、マメタが嫌がる薬をやめました。
しかし、甲状腺の薬をやめたところ、また元気になっちゃったんです。
もちろん、少しだけ、ですが。
甲状腺機能亢進症のお薬をやめるとエネルギーが出てきちゃうんですね。
食欲もあがり、お皿に入ったもの全部食べるようになったのです。
予約の一日前、安楽死をしに来てくれるサービスに電話して、今この状態でさようならするのはつらい。と伝えると、獣医さんが来てくれて一緒に相談にのってくれるというので、とりあえず来てもらうことにしました。
獣医さんが家に入ってくると、興味津々で、近づいてきてニャオーンとあいさつ。
私からのおやつは絶対食べないくせに、獣医さんが持ってきたおやつを食べるではありませんか。(うまく食べられなかったので食べることが痛いことは確か。) ベッドに飛び乗るなんてずっとしてなかったのに、ぴょんって乗るし。。。日が当たる出窓の自分のベッドで気持ち良さそうにしている。。。
獣医さんはその様子をみて、食べるのがつらくなってることは確かだと思う。
でもまだ3日から2週間くらいの余裕があるかもしれない。とおっしゃりました。
長くて2週間くらい、QOLを保ったまま生きれるのではないかと。
今ここで安楽死することにも反対はない、と。彼は確実に死が近づいてきてるから。
苦しい最後になる前に安楽死の予約がとれるとも限らない。
この健康状態だと、あなたが働いてる間に一人で死んでしまうかもしれない。
あなたのチョイスです。と言われました。
私は泣きじゃくりながらも、まだご飯を食べて、なんだか楽しそうにしてるマメタを今そこで逝かせることはできませんでした。
で、薬のプランを変えて、もう痛み止めだけ。甲状腺のお薬は続けてもいいし、続けなくてもいいし、彼が好きなように好きなことだけさせてあげましょうと。
しかし痛み止めはあげてみると強すぎるらしく、ふらふらになってしまったので
輸液と甲状腺のお薬を様子を見てあげつつ過ごしました。その間にたくさんの抱っこや家族でたくさんのいい時間を過ごせました。天気も良く毎日外か出窓で昼寝をしていました。痛み止めも様子を見ながら彼の寝る時間に合わせてあげました。
10日が経ち何かが変わりました。
楽しんでた様子が一気になくなり、よだれが増え、腐臭がますます強くなりました。
顔のかたちがかなり変わり、腫瘍のサイズがすごく大きくなってるのがわかりました。
食べる量が一気に減りました。
何よりも呼吸が少しおかしくなっていて、寝ててもお腹で頑張って呼吸しているのがわかりました。私の膝に最後にのったのは火曜日の夜。その後は体がきつそうでベッドの上でしか寝ませんでした。
それを見て、これ以上苦しませるのは酷だと、思いました。
私の勝手な希望で延命をしてきてしまった。
最後は苦しくなく逝ってほしいと、これも私の勝手な思いで、安楽死を決めました。
金曜日、2週間後に戻ってきた獣医さんは、そうですね、もう時間の問題でしょう。もうこれ以上は、と思います。。と賛成してくれました。とても強い良い子ですね。。と。
まだ動けてました。
まだ出窓に登れました。
まだお外で昼寝できてました。
最後の朝ゴロゴロいいながら私を起こすこともしてくれました。
でももういつものルーティンもしない。
トイレを漏らしてしまった。
クリームチーズをねだりにこない。
膝のうえでお昼寝もしない。。
何より異臭のするよだれが大量に出続け、顔がもうつらそうでした。
もういつ亡くなってもおかしくない状態でしょう。腫瘍が喉を圧迫していて、おそらく息をしにくい状態になってると思います。と獣医さんに言われました。覚悟を決めて最期のお別れをすることにしました。
最初に眠らせる薬。
その注射は少し痛かったみたいで、少し嫌がりましたが私の腕の中で落ち着きました。
そして薬が30秒くらいですぐに効いて、グッタリしました。
ぐったりしたマメタをいつものブランケットの上におろし、そして最後に足から管を入れて、心臓を止めるお薬を入れます。
1分もしないうちに彼の体から魂が抜けました。手を通してエネルギーがフッと消えたのを感じました。私はずっと撫でながらマメタに語りかけました。泣きながら叫んでたかもだけど。。。
辛くて辛くて。。。
あんなに覚悟していたのにそれでも辛くて。。少しでも獣医さんの注射で怖い思いをさせてしまったのも辛くて。。
それでも私の腕の中で意識をなくしたというだけでやっぱりもがき苦しむよりもよかったのかなとも思ったり、これでよかったとも完全に思えなくて。
あんなに苦しくつらいお別れは父を亡くした時以来でした。
ありがとう、ありがとう、君は世界で一番の最高の猫だよ。
大好きだよ。何度も繰り返し伝えました。
体温がみるみる抜けていって
ピンク色の肉球が真っ白になりました。
私は寒くなったらかわいそうとブランケットをかけました。
もう暖かくなることなんてないのに。
頭ではわかっていてもこの子を世話してきた思考回路が止まらなくて。
愛しい愛しい我が子のように思ってきてしまったから。
いつもそばにいてくれたから。
マメタは私の子供でありパートナーであり私をいつも見守ってくれてた天使だったから。
彼を庭の木の下に埋めました。
まだ少し体温が残っている体を土の中に埋めるというのは頭ではわかってていても難しくて。土かかっちゃったらかわいそうじゃないか。。。って。でもさよならしなくちゃねっていいながら、もう魂の抜けてしまった体を土に還さなければって、頑張って埋葬しました。夜だったので暗くなる前に、と。
彼がいなくなって3日。
私はまだ彼がいないこの世の中を受け入れることができていません。
世話をしているつもりでした。
彼の猫生をできるかぎり幸せなものにしたくて頑張ってきたつもりでした。
でも実際は彼から与えてもらったもののほうがずっとずっと大きい。
私は後悔はないんです。
すべて出きることはやったと思うし、17歳まで生きてくれたし、
息子が里子のころ、暴力的で大変だったとき、ほとんどかまうことができなかったのに、マメは常にそこにいてくれたんです。
きっとストレスをためさせてしまっていただろうに、私がつらくて泣いてるとそばにきてただただ、一緒に居てくれたんです。
息子が徐々に落ち着くと、息子の膝にも乗るようになり、彼が寝られないときは彼のベッドのそばの椅子にのり、彼が落ち着くまで一緒に寝てくれました。
息子が寝入ると、仕事が終わったとばかりに椅子から降り、私と一緒にベッドに入るのです。
マメタは私たちを守ってくれました。
支えてくれました。
私たちがマメタをかわいがる以上に、彼は与えてくれた。
まだ彼のいない世界を受け入れることができていないけど、
ただマメタが言ってくれるような気がしてるです。
僕、ママに教えたでしょ。大丈夫だから。つらいことあっても大丈夫だから。僕がいつもそばにいたときに感じた安心感。思い出して。
大丈夫、やっていけるよ。
また会おうって。
私も毎日言ってました。
マメタ、もうあなたの命が尽きるのが近いのはわかってるけど、また次の命でも絶対一緒に過ごしたいね。って。一緒にまた過ごせるのを祈ってるよって。ほんとは一緒にいれるならずっと一緒にいたいよって。いつもそう言うとゴロゴロいいながらしっぽを私の腕に巻いてくれました。
(しっぽでいつも返事をしてくれたマメタです。)
だから、いつかまた会える。
マメタはもう元の肉体にはいないけれど、そう信じて生きたいです。
私にとっては本当に特別な存在だったマメタ。
捨て猫なんて2004年に彼を拾った時以来見ていません。
でもマメタは私の前に現れた。
父が亡くなった年の次の年にひょこっと現れてずっと守ってくれてた。
父の代わりに、見守ってくれてた。そう思っています。
まだ受け入れられないけど、少しずつ、少しずつ。
彼が私の人生に来てくれたことをあまりにもありがたく感じています。
一緒に庭で過ごしたたくさんの時間。
カウチで一緒にうたたねした時間。
家族みんなで団らんした何気ない日常がどれだけ最高の瞬間であるか。
マメタは大切なことをたくさん教えてくれました。
本当にありがとう。
マメタは最高の猫だよ。
マメタのいない世の中は私にはつらいけど
マメタのいない家に帰ってくるのは予想以上につらいけれど
君の姿をずっと探してしまうけど
君がくれたたくさんの幸せな思いを忘れずに
生きれるように頑張るから。
いつかまた会える日が来ますように。。
大好きなマメタ。さようなら
(お日様が大好きだった元気な頃のマメタ)
モナーク便り 続き
モナークのサナギを毎日観察しながら見守っていたのですが昨日今日と相次いで蝶が出てきました。
しかし残念ながら 小さい方はOE という病気で羽が上手に広がりませんでした😢
弱々しく羽を広げて羽ばたくことができない、小さな数日の命、せめてお花の上でと思い、お花を摘んで掴まりやすいようにしておきました。のですが今日の夕方には姿かたちなくなっていたので、鳥やとかげに食べられてしまったのかもしれませんね。残念でした。
もう一つ地面に転がっていて、デンタルフロスで吊るした子は順調にメタモーフォーシス(変態)をし、今朝気がついたら外に出ていました!
少しずつ羽の様子がうっすら見えてきたのが4日前くらい
今日の朝、朝日を浴びたさなぎ。孵化の2時間前です。気がついたらもう出てきちゃってて出てくる瞬間は見れなかった。。
きれいな蝶です。健康そうだし強そう!
今日は予定があったので飛び立つまで観察できなかったのですが、午後3時半に戻ってきたときにはもう姿はありませんでした。無事に旅立ったことを願うばかりです。
モナーク蝶は一年のうち冬はメキシコ、またはカリフォルニアで冬を越え、夏はカナダの方まで北上するそうです。しかし1代でそれをやりとげるのではなく4代かけてそれをします。1代目はメキシコやカリフォルニアで冬を越えた世代。ここから3代かけてカナダ、ワシントン州やアイダホ州まで北上します。彼らの寿命は2~6週間で、すぐに次の世代を作ることが出きるそうな。しかし4代目のモナーク蝶はカナダや北の州から南のカリフォルニアやメキシコ(バハ・カリフォルニア)までたった1代で南下するそうです。この世代は8~9ヶ月いきるそうです。小さな小さな蝶が一匹で長距離大移動するその旅はどんなものなんだろう、と想像したくなります。さすがに蝶にカメラはつけられないですもんね。
今回蝶になった子はここで冬を過ごし、次の世代が北上し始めるのか、今年は暖かいからすでに北上している途中なのか。よくわかりませんが無事に生きて次の世代に繋がっていけるといいなあと思いました。死にゆく野生の動物を助けることはいいことなのかわかりませんが、今回は恐らく木の剪定で落ちちゃったと思われるのでよしとします。人間の大量生産を目的とした農薬の大量使用、繁殖するための土地が開発され、なくなっていったミルクウィードの減少がモナーク減少の主な原因と言われています。鮭や鮎を放流するようにモナークを助けようとしてる人たちもたくさんいるんですけどね。
通常春に多いモナークの訪れ。春に十分なミルクウィードを供給するため近々また在来種のものを植える予定です。
さて新年今日が仕事始め。
頑張らねば!!!
剪定して新しくマルチを加えた庭です。雨も降って気持ちがいい!
暖冬の庭から、モナーク蝶便り。年末の独り言含む。
最近うちの息子もろ反抗期です。
虐待やら里子やらそんな過去もあいまって
彼の反抗期は半端じゃなく憎たらしい。使う言葉とか態度とか、
お前はギャングメンバーか!!という調子です。
もちろん彼の複雑な育ちを考えるとまっすぐのびのびすくすくかわいらしく育つはずはないし、そんな過去を持っていないまっすぐ育ってるはずの子たちだって大変な時期はあるものだと思っています。が。まあいわゆる、特に問題もなく愛されて育った子供の反抗期を10倍から20倍にした感じと思ってもらえると嬉しいです。まじで憎たらしい~~!!と思いますがあえて無視して、ほめるところをみつけるようにしないといけませんね。
大変だね、がんばってるね、といってもらいたくて愚痴をこぼしておるだけです。すみません。笑
さて、子供の愚痴は置いておいて
南カリフォルニアやっとまともな雨が降りました。
今日一日降ったりやんだりを繰り返すらしいですが
おそらく300日くらい雨ちゃんと降ってなかったんでなんか気分が潤います。
今年はあったかい冬なので、2月とかまで咲かない花が開花したりしています。
さて、今日話題にしたかったのは、モナーク蝶。
モナーク蝶はカナダからメキシコまで渡る、渡り鳥ならぬ、渡り蝶。
模様がきれいで、ドワーーっと木に集まったりするので、北米、メキシコで人気の蝶です。
残念ながら数が激減しています。今年のカウントによると、そろそろEndangered Species絶滅危惧種に加わってしまうらしいです。なんか順番待ちらしくまだ加えられないそうですが。。。
- Under current conditions, the eastern monarch populations have about a 50-70% chance of reaching a point at which extinction is inevitable within 60 years. For western monarchs, the chances are higher, 60-68% within 10 years and 99% within 60 years. (記事元:No endangered listing for monarch butterflies as western count hits alarming low (mongabay.com) )
そんなモナーク蝶、私の中ではサナギがきれいすぎて、つい見とれてしまう蝶です。
芋虫は苦手ですが、モナークの子はまだ耐えられる。
うちの庭で冬を越すモナークは今までいなかったのですが、今年はあったかいからか、冬でも幼虫がいなくなりません。
モナーク蝶の幼虫はミルクウィードという植物しか食さないのですが、この写真にのってるのはトロピカルミルクウィード。植物屋さんでもよく売られています。しかしこのトロピカルミルクウィード、外来種です。毎年切り込まないと、モナークに蔓延するカビの病気を広げてしまいます。なのでもしモナーク蝶を庭で育てたかったら、半年に一回ほど地面から15cm-20cmの高さまで切り込んだほうがよいそうです。そうすることで病気を広げなくて済むそうな。
ちなみにうちの庭には在来種のミルクウィードも植えてあるんですが、こちらはなかなか弱く、食欲旺盛なモナークに十分なほど育っていません。今年の目標は在来種ミルクウィードを庭でもうちょっと育てることです。
そして3日ほど前、寝室の窓から外を眺めていたら、サナギがおっこちて地面に転がってるのを見つけました。二週間ほど前に木を刈り込んだので、その時におっこちてしまったのかもしれません。Youtubeでおっこちちゃったモナークのサナギを助ける方法、というのを見つけ、試してみました。
地面に転がっていたので少し汚れています。それでもきれいなエメラルドグリーンに、金色の点々。ほんとキレイなサナギです。
金の生る木の幹がつるつる過ぎて出てきたときつかまれないんじゃ・・・とつるした後に気が付いたので、近くなったら足が引っかかりやすいものを用意するかもしれません。ちゃんと蝶になれるかなあ。。。
そしてもう一つ発見。前に2日間ほど幼虫のままぶら下がっていて、死んじゃったかと思っていましたが、どうやら時間をかけてサナギになれたみたいです。
モナーク蝶は蝶になれる子は自然界だとすごく少ないようです。
だからサナギになった子を見るとうれしい。蝶になれるかどうか追って日記に残したいと思います。多分。
人間は美しい種類のものを守りたいと思う傾向が強いそうです。
きっと美しくないものでも絶滅していく種類もたくさんあるんだろうな。注目されにくいだけで。。
人間はどこまでこの地球にいることができるんだろう。
人間はとても強い種族で環境にたいする適応能力が他の種族と比べて半端なく高いですよね。
絶滅に向かう種類の生き物を見るとそんなことを考えてしまいます。
さて、最後にもう1つ独り言を。。
年末は日本では大掃除ですね。
アメリカにはスプリングクリーニングという習慣があります。
3月や4月の春休みにわーーっと掃除するのです。
それとともにガレージセールなんかをよく開きます。
私はというと、年末の掃除は、「今年はスプリングクリーニングにしよう。」と言い訳をし、
スプリングクリーニングの季節になると、「うん、私は日本人だし、年末に掃除しよう。」と言い訳するので
いっこうにきれいにならない我が家です。
さて、独り言をやめて、年末の帳簿付けに戻ります。
それではまた。
バイデンさんの勝利 4年間を振り返って
アメリカ在住20年の私ですが、いまだに市民権は獲得していません。
日本は二重国籍を許してくれるわけではなく、旦那が死んじゃったらこの国に家族のいない私は大好きな家族がいる日本に帰る気満々なので、パスポートを手放す勇気がないのです。
なので選挙権がないので、ワーワー言うなという気もしますけれど
ここまでアメリカの選挙に真剣になったことがかつてあったでしょうか。
バイデンさんの勝利が確定し、心底ほっとした自分に驚きました。
あーこの4年間やっぱきつかったんだ!
アメリカに住んできた身としましては
この過去4年間は自分の肩身が狭く感じられ
人種差別の被害をうける可能性を覚悟し
減らされていくアメリカの素晴らしい国立公園や国立森林を悔しい思いで見つめ
堂々と人種差別を主張し白人至上主義を掲げる人間たちを見て怖くなり
高くなっていく生活費に対してあがらない給与にあくせくし
社会の税金に頼って暮らす貧困層の増加と暮らしぶりを見つめ
大きな町で増えていくホームレスと、町に流れる不穏な空気を感じた4年間でした。
実際に食べることには苦労しなかったし
白人の友達は生活が向上していたし( 建築や不動産業の人が多い。オバマ時代はけっこうみんな大変そうだった)
医療系の私たち夫婦は少しきつくなったものの、ほぼ今までと変わらない暮らしをしたと思います。
でも何かが違ったのです。
それはたぶん意識であり目には見えないけど感じる空気であり。
選挙が近づくにつれ、町に唯一ある銃専門のお店には毎日行列ができていました。
パンデミックが始まってからしばらくはアジア人というだけで嫌がられることもあったし
格差が広がっていく様子を見ながら、このままアメリカに住むことに恐怖を感じていたし、戦わなくては・・・という気持ちであったことは確かです。
ニュースは見ないようにしていたし、テレビもつけていなかったけど、どこからか耳に入ってきてしまう国のリーダーが放つウソと暴言は、自分では気を付けていても影響されていくものだと実感しました。
自分と全く違う考えの人たちが自分の上に立つということは、なかなかに心苦しいことであることがよくわかりました。オバマ政権下ではそのように思っていた人たちが反発してトランプみたいな人が上に立つ事態になったのでしょうが。。。
トランプ政権の意味はなんだったのでしょう。
声を聞かれなかった白人たちの声が聞かれたこと。
人種差別の問題が表面にでてきて、たくさんの議論が交わされたということ。
国民の政治への関心と参加があがったこと。
前に進むために必要だったのかもしれません。
アメリカは面白い国です。
いろいろな考えをもった人が集まって
全く同じ思いを持つということはありえないけれど
Unitedという言葉を大切にしている国ではあります。
それがなければまとまらないものね。
人種を超えて個人が集まり、かつ個性を受け入れて尊重して一緒にやっていくという課題は人類の究極の課題だと思います。その実験がアメリカ。なのかな。笑
私はたくさんの人種が集まって一緒になることが好きです。
だからこの国が分断ではなくまとまっていく方向性に舵をきっていくのはうれしいし、自分の子供が育つ国というのはそういうところであってほしいと思っています。
(アメリカが一番いいとか思っているわけではないですよ!!ただ他の国にいって、恥ずかしいと思う程度が減ると思います。トランプ政権下ではヨーロッパ人にいろいろ言われました。笑)
どの国も支配層というのは存在するし
人間が社会的動物であるかぎり、差が出るのはしょうがないこと。
今回で明るみに出た根強い白人至上の考えや人々
彼らとこれからも相容れるのは難しいのでしょう。
でもやっと女の副大統領、しかもジャマイカ人とインド人のハーフであるカマラさんが副大統領になったことは大きな前進の一歩だと思います。
人間はみな平等であるはずだというめちゃめちゃ高い目標は
達成できないかもしれないことだけど、捨ててはいけない目標。
アメリカに20年いてやはり下に見られたりすることを経験している私としては
次世代の子供たちにとってそれがもっと平等なものであるように願うばかりです。
少しこの国で住んでいくことにまた自信が出てきた朝です。
はあ。よかった。
まさにこの人が言ってくれたことに同感です。
南カリフォルニアでは今日の朝、今期の初雨がふりました。
空気が爽やかで気持ちがいいです。
アプリコットの木
うちの庭にあるアプリコットはなかなかのサイズで、庭の中心になっていました。
今まで庭に気持ちのよい木陰を作ってくれていたよい木でした。数年前から花の付きが悪くなり、幹からは樹液が出てくるようになっていましたし、根本にはこぶ病みたいなものもでき始め。。
今年はもう花は咲かさないのかと思いきや、数年ぶりに大量に花を咲かせ、実をたっぷりつけてくれたので、もしかしたら大丈夫かと期待してたのですが。。
まだまだ元気と思ったのもつかの間、たわわになった実は枝についたままどんどん腐っていってしまいました。
最初は私がちゃんと間引きをしなかったからかなあなんて思っていたのですが、放っておいたら実がそのまま腐ってカビがそこから枝に広がってしまったのです。
夏のガーデニングは私はあまり好きじゃないのです。
なんせ夏は乾期の盛りなのでチリホコリがすんごくて。
もともとアレルギー性鼻炎があり下手すると喘息みたいにゼーゼーしてしまう私はこの時期は荒れ放題になる庭を見てみないふりしてやり過ごしていたのですが。。。
しかしカビにやられて見るからに弱ってきた木を見て、これはヤバイ、とネットサーチ。どうやらこれはBrown Rotというカビの病気らしかったのです。
どうしようと迷っているうちに、どんどん木が葉を落とし始めてしまいました。先っちょの枝からみるみる枯れていきます。
これはまじでヤバイと思って、樹医をネットで探して診断に来てくれるか頼みました。
治せるのか、それとももう無理なのか。
今回来てくれた樹医はしっかりと植物の知識がある人でした。木を見るなりこれはいつ頃からですか、ここに病気のサインが出てますね。と診断を始め、樹皮ももう元気がないですし、これはかなり長い間病気だったと思いますよ。もう助けるとか言う段階ではないので放っておいたらそのまま枯れます。もうこれは助かりませんね。免疫ももう落ちていたのでBrown Rotにもかかったんでしょう。
と診断を下してくれました。そしてどちらかというと庭のオレンジの木の放っとかれ度が気になったようで、虫のダメージがひどいしこれは治療しないとダメですよ。とダメ出しされました。
まあオレンジは置いておいて。。。
(今年はどの木も夏の間になんかすごい成長をして剪定が追い付かなかったのです。去年の秋にやった剪定じゃ足りなかったようで、葉が混みあいすぎて害虫やネズミが来てしまったのです。。。。)
まあそんなわけで
今日アプリコットの木が最期を迎えます
木が大好きな私としては悲しいですがもう仕方ありませんね。昨日は周りを掘り返して今日のために地中にある灌漑のチューブを外に出す作業をしました。
この1週間火事で空気が悪かったのですが昨日は久しぶりに青空が少しだけ見えたのでホコリと公害予防にマスクをしながらやりました。暑かったけど久しぶりにさわる土仕事は楽しい。。
でもアプリコットの木とはお別れです。今までありがとうとお礼を言いました。
樹医さんもこの木は推定25~30歳だと思いますよ。といっていたのでやっぱり寿命なのかもしれませんね。私たちがもうちょっとちゃんとしたケアをしてあげてればもう少し長生きしてたのでしょうが。
この木は病気だったため、今幹と根っこを掘り出したところに新しい木を植えてもすぐに枯れてしまうと言われました。
だからしばらく木を植えないでみようかと思っています。木の代わりに息子が基地をつくれるように小さな見張らし小屋みたいなのをたてようかと旦那と話しています。そんなので遊んでくれる年齢もあと3~4年でしょうから、その後に新しく木を植えようかと話しています。
ちなみにあまりにも最近庭を無視していたので心配だったのですが土は元気そうでした。そういえば土を掘り返す作業なども全然してなかったと反省。土を掘り返して植物などの古い株を取り除いてあげると植物たちが少しキラキラするような気がします。
私はプロじゃないのでわかりませんが、庭の土は固くなくてフワッとしていて、菌や昆虫、腐葉土とまでは言いませんが有機物が含まれている土が出来上がっていました。
最初引っ越してきたときかっちかちの土だったので、まるで林に来て土を掘っているみたいで、子供の頃雑木林でよく遊んだ思い出がよみがえりました。
庭に自然を持ってくるっていう当初の計画は、完璧ではないですが少しずつ進んでるかなと思います。でも健康な土と植物を保つには植物のリズムと一緒に、柔軟に、でも勤勉に庭仕事しないとなあと反省しました。植えたものが育ってほしいように育てるより彼らにリズムにあわせて庭のデザインを変更していく。そんなガーデニングができたらなあと思うのです。
野生っぽい庭の土。
たったまま枯れてきているアプリコットの最期の姿。ごめんよ~。今までありがとう~😿
庭に来てくれてる鳥たちもしばらくは寂しいだろうなあ。。。
この頃は元気だったな
養子手続き終了 コウノドリとオランダへようこそ
(養子が8月10日に確定し正式に里子が我が子になりました。
里子と養子の道のりに関してはもっともっと書きたいことがあるので別ブログで始めます。これと同じ記事を載せて、そこから振り返りながらまとめていく予定です。こちらのブログでは子供に関してはこれを最後にします。そろそろガーデニングブログも少しずつやりたいので!)
私にはここ約3年間避けていたことがある。
それは漫画・コウノドリを読むこと、またはコウノドリのドラマを見ることである。
私には漫画好きの姉がおり、気に入った漫画があると教えてくれる。
海外からもネットで買って読めるようになったのはほんとありがたいことで、よく買って読んでいる。漫画を読むのは私のホームシックには良薬なのだ。もちろん日系マーケットに行って日本のお菓子を買って食べるのも大事だけれども。
随分前から姉には薦められていたコウノドリ。
表紙を見ただけでわかる。これは赤ちゃんや赤ちゃんを産む人、産科の話だろうと。
人が妊娠して子供を産む話をどうしても読む気になれなかったのが、2年半里子として育てていた子供が養子となった今、ようやく読む気になったのだ。その気分の変化には私自身も驚いた。
私たち夫婦は不妊症だ。
いろいろなことを経て、ここまできてやっとこの作品に触れられる気になった。
結果、はまった。
この1か月間寝る間を惜しんだり、子供をテレビ付けにしたりしながら(だってどこへも行けないし~とダメ母な自分に言い訳しつつ・・・)コウノドリ全巻読んだし(ちなみに漫画はかなり早く読めるので二日間の夜更かしで全部読んだ)
ドラマの方は時間かかったけどこれも全部で2週間ほどかけて夜更かししながら全部見た。
特別養子縁組の回では特別に涙が出たし
赤ちゃんを妊娠して無事に産む人たちの映像を見ても傷つかず、むしろ感動していちいち涙した。
不思議だ。
里子を里子として育てている間はどうしても見る気になれなかったのに。
養子は自分でおなかで育てて、痛い大変な思いをして産んだ子供ではない。私の子供は4歳と大きくなってから来た子だし、赤ちゃんの頃の彼を私は知らない。
私はこれが自分の道だとやはり納得したのだろうか。自分でもいまいちよくわからない。いろいろ大変なことを経験する人たちの話が多いからというのもあると思う。妊娠したこともない私は流産や死産のつらさは想像すらできない。
ドラマはドラマだから登場する旦那たちもなんだかんだいい人が多いし、お医者さんもいい人たちで熱意がある人ばっかり。きれいにまとめられてるし、感動するように作られてるってわかってるけど、それでもちゃんと妊娠と出産が当たり前に安全ではないこと、奇跡であること、社会問題や実際の子育てのつらさなども描いてくれているし、とてもいい作品だと思った。
最後まで全部見たくてシーズン1も2も見た。
それで最終回でまた涙が出た。
特に最終回にグッと来たのにはわけがある。
最終回に紹介されるダウン症の子供を持った親が書いたという、オランダへようこそ、という詩。
オリジナル英語版はWelcome to Holland.
妊娠して子供を待つ間のワクワクを、イタリア旅行を楽しみに計画することに例えた詩だ。
イタリアではこうしたい、ここにいくぞ、とワクワク楽しいことを想像しながら準備する。ついに旅行の日になってイタリアに向かったのに、ついてみたらオランダだった。
そしてあなたはここにいないといけない、と言われる。
もしイタリアに行きたかった、イタリアに行くはずだったのに、イタリアだったら、とずっと悲しんでいたら、オランダにあるきれいな風車もチューリップも、レンブラントの絵画にも気づけないかもしれない。オランダの良いところを楽しめないかもしれない。
というような内容の詩だ。
(たくさんネットに本文があるので興味がある方は検索してみてください。)
障害がある子をもつ親に向けて書かれたのだと思うが、悩みは小さかれ大きかれ、子育ては思ったようにいかないもの。誰にでも響くものがあるかもしれない詩だ。
私たちは子供が欲しくてもできなかった。不妊歴12年だ。けっこうな年月だ。
たくさんの人に出会って、里子・養子の道を行きなさいと言われた気がする私たちにとってもウンウンとうなずくものがある詩だ。
さらにグッと来たのにはもうちょっと理由がある。
私たちはこの詩の通り、オランダへ行ったことがある。
私の旦那はイタリア系だ。
付き合いだしたころからずーっと、一緒にイタリアに行きたいね。と言っているがまだ叶っていない。
里子を迎え入れる前年の2017年。姉が出張でドイツに行くという連絡をしてきた。
その時、私も行きたいな~。今ヨーロッパに行ったらどれくらいかかるかな~となんとなく検索したら意外と安いチケットが見つかったのだ。
それで旦那に言った。
ねえねえ、お姉ちゃん仕事でドイツ行くって言ってるんだけどさ、同じ時期に行って合流してちょっとヨーロッパ旅行しない?と。
ヨーロッパも地中海沿岸にしか興味がなかった旦那。とくにイタリアには前から行きたがっていた旦那は、え~、せっかくヨーロッパ行くならやっぱりイタリア行きたいじゃん。と消極的だった。
でも飛行機代は地中海沿岸の国は極めて高く、倍くらいした。
ドイツは私は以前にいったことがあってすごく気に入ってたので、いいじゃん、ドイツ楽しいよ。一緒に行けたら楽しいし。アイスランドから入るとめっちゃ安いチケットあるんだよ。と旦那に見せると、少しずつ乗り気になっていった。
まあそんなわけで計画を始めて、アイスランド、デンマーク、ドイツ、オランダを回る旅をすることにしたのだ。
夢のイタリア旅行ではない。旦那と一緒に、彼のおじいちゃんが産まれ育ったアマルフィ海岸の町へ行く夢の旅行ではなかったんだけど。イタリアでおいしいものをたくさん食べて美しいものにたくさん触れてローマ帝国の歴史を感じる夢の旅行ではなかったんだけど、結果北ヨーロッパへの旅行は新しい発見がたくさんあって、ものすごく良い旅になったのだ。
そして特に私たちが気に入ったのがオランダだったのだ。移住したい、と思うくらい。家の値段調べたり、ビザや言葉のこと教育システムのことなど調べちゃうくらい、気に入った。オランダで出会った森では美しさに涙を流した。
そんなことがあったので、この詩は特にグッと来た。
私が思い描いた人生は全く違う方向へ行った。
この道を行くからこそ見えてくるものがきっとあると信じていたい。私たち文化も生物学的な特徴もまったく違う3人が一緒に生きていくことに意味なんてないのかもしれないけど、私たち3人それぞれの人生、少しでも生きててよかったって思えることが多くなるように、願っている。
このオランダへようこその詩。コウノドリを見てからちょいと検索した。そしたら、これを読んだ、難しい障害をもつ子供の親が書いているブログが出てきた。彼女はこの詩に対しては少し否定的で、そんなノンキなこといってられなくて複雑な気持ちになると言っていた。だって実際難しい障害がある子への子育ては「ただ違う場所なだけ」とか、「のんびりした場所」なんていうこの詩とは少しずれがある。PTSDをもつ私の子供も同じだ。汚くて見たくない社会の闇を垣間見ることがあるからだ。唾をはかれ、髪の毛をむしりとられてるときにそんな呑気なこと言ってられない。でもその時彼女はこの俳句に出会ったといっている。
江戸時代の俳人水田正秀
「蔵焼けて さはるものなき月見哉」
私の蔵が焼け落ちた。ああ、これで月がみえる。。。
うん。これもしっくりくる。
思い描いたものが崩れ去って初めて気づくことがある。初めて見えることがある。
私は里子を受け入れてから暗くてつらい時間をたくさん過ごしてきた。でも今、私の人生の目的と目標が見つかったような気がしている。
単なる思い込みなのかもしれないけど。
養子の手続きが全部終わってから書こう書こうと思っていても、気持ちがまとまらなくて書けなかった。
でもなんかコウノドリのおかげで少し気持ちがまとまった気がしている。
私やっぱり、ドラマや漫画に簡単に影響される単純思考なんだな。笑
気楽に、やっていこう。
美しさに涙が出たオランダで出会った森