私の大切な黒猫マメタ 扁平上皮癌の闘病と、さようなら
もう何か月もブログを書いていませんでした。
今年に入ってからうちの息子は大変だったし、
1月からは黒猫マメタの腎臓病も進み、家で輸液をする治療が始まりました。
看病と仕事と息子と旦那と、毎日忙しく過ごしていて、何も書く気になりませんでした。
私の大切な大切な黒猫マメタが三日前に亡くなりました。10月22日。夕方5時過ぎ。
(今年の春、日向ぼっこをしていたマメタ)
(まだ二年前の元気な頃のマメタ。)
彼の患った病気は飼い主さんがなかなかに治療や看病に苦労する病気だったので私の気持ちの整理のためにも書くことにしました。
誰かの参考になったらって思うし、長くてすみませんが私自身のために書きます。
今年1月、マメタを検診に連れていきました。
腎臓病は去年既にステージ3の数値になっており、甲状腺のお薬はすでに2019年より毎日とっていました。
獣医さんには腎臓の数値は悪くなってきていて、脱水症状が進んでいるので家で輸液を始めるかどうか決めてくださいと言われました。
獣医さんには輸液をしたらもちろん猫の体は楽になるはずだと言われ、私はまだ彼に逝ってほしくなくて、そして何より苦しませたくなくて、治療を始めました。
甲状腺機能亢進症の薬は朝、夜と一日2回。
輸液の点滴は週に3回。
輸液を始めてからのマメタは元気を取り戻し、毎日の生活に戻りました。
覚悟はしていたつもりでした。
いつなくなってもおかしくない17歳という年齢。
今年7月あたりからよだれを垂らすことが増えました。
しかしデルタ株のコービッドが急速に増えだした7月、なかなか獣医さんの予約が取れませんでした。
8月の後半に予約はできたものの、どうも様子がおかしく、口が臭くなってきたマメタをみて、獣医さんに予約を速めてもらい8月の最初の週に獣医さんに連れていくことができました。
そこでの診断は癌。
口腔内にできる癌で、おそらく扁平上皮癌であろうと。
800ドルもかかる検査をし、その診断を確定しました。
予後は非常に悪く1ー3か月。マメタの場合持病もあるからおそらく持って1-2ヶ月。
年を考えても、すでに輸液が必要な進んだ腎臓病がある状態であることも考慮して、緩和医療を勧められました。
私もこれ以上治療を続けるのは酷だと思っていたので、痛み止め、抗炎症剤だけで残りの日を過ごしてもらうことに決めました。できるだけ平和に、苦しくなく過ごしてほしい。
泣きました。
どんなに覚悟してても、いつかは訪れる別れ。
想像するだに辛すぎて。。。
8月からはお薬が3種類に増えました。
抗炎症剤兼痛み止めを2日に1回。
点滴はそのまま週3。点滴をしすぎると貧血になるからということでした。
そして甲状腺のお薬も毎日。
その後は私は仕事しながらも献身的にお世話したと思います。
仕事でキャンセルが出たりすると合間に家に帰り様子を見に行きました。
いつお別れが来てもいいように、後悔しないように、大好きだよ、いつもありがとう、いい子だね、と毎日伝えました。
8月、そして9月の最初まで、マメタはだいぶ調子がよさそうで、毎日のルーティンを楽しんでいるようでした。
朝5時に私を起こしに来て、裏庭に行く。
トイレを済ませるとまた戻ってきて布団の中で、私の腕枕でもうひと眠り。
6時半に私と一緒に起き、今度は家の表のパトロール。
私が朝食を準備している間にクリームチーズをひとなめするのをねだる。
クリームチーズのあとはお薬をとり、今度は一人で私のベッドルームに向かい、朝のお昼寝に入る。私たちが仕事と学校に行っている朝の間はほぼ寝て過ごしていたようです。
トイレに行くのが億劫になってきており、家の裏のドアを少しだけ開けておくのも私の日課になりました。ガレージにおいてあるトイレも猫用ドアをくぐるのがきつくなっていたので、ガレージに続くドアも半分開けるのが私たちの日課になっていました。
9月のあるころ、マメタが薬を嫌がるようになりました。
まるでもう薬なくていいからっていってるように。
彼の眼をみると、もういいよ、ママ。もう頑張らなくていいよ。と言われてるようで。
点滴も今まで文句言わなかったのに、文句をいうことが増えました。
朝のお薬をものすごく嫌がるようになりました。
口の中の癌はみるみる大きくなり、顔が少し曲がってきました。
でも点滴をうつと体が楽になっているのがわかる。
薬を試しに辞めてみると体はつらそうになるのがわかる。
だからすぐにやめられなかった。
9月中旬から、安楽死をいつにするかを毎日考えるようになりました。
いつ、どのタイミングでしてあげるのがいいのか。
この癌は食欲は減退しないのに、癌が大きくなって気道や食道が圧迫され
食べたいのに食べられない。飲みたいのに十分に飲めない。また広がりかたによっては気道が圧迫されて窒息する、という酷な病気です。
この性質により、安楽死のタイミングが非常に難しく、安楽死をしないとなると、猫にはかなりの苦痛を経験させることになるということを言われました。
獣医さんも最後は安楽死をすすめました。これ以上マメタがマメタらしい生活ができなくなったと思ったらその時がタイミングですよ、と言われました。
しかしそのタイミングが難しい。。。
9月の終わり、元気がなくなって2日間ほとんど食べないことがありました。
朝のルーティンもしなければ、ずっと寝ている。トイレはまだしてるけど、食べることがいっきに少なくなりました。膝にも乗ってこない。
覚悟を決めて家でできる安楽死の予約をしました。
予定の日の3日前から、マメタが嫌がる薬をやめました。
しかし、甲状腺の薬をやめたところ、また元気になっちゃったんです。
もちろん、少しだけ、ですが。
甲状腺機能亢進症のお薬をやめるとエネルギーが出てきちゃうんですね。
食欲もあがり、お皿に入ったもの全部食べるようになったのです。
予約の一日前、安楽死をしに来てくれるサービスに電話して、今この状態でさようならするのはつらい。と伝えると、獣医さんが来てくれて一緒に相談にのってくれるというので、とりあえず来てもらうことにしました。
獣医さんが家に入ってくると、興味津々で、近づいてきてニャオーンとあいさつ。
私からのおやつは絶対食べないくせに、獣医さんが持ってきたおやつを食べるではありませんか。(うまく食べられなかったので食べることが痛いことは確か。) ベッドに飛び乗るなんてずっとしてなかったのに、ぴょんって乗るし。。。日が当たる出窓の自分のベッドで気持ち良さそうにしている。。。
獣医さんはその様子をみて、食べるのがつらくなってることは確かだと思う。
でもまだ3日から2週間くらいの余裕があるかもしれない。とおっしゃりました。
長くて2週間くらい、QOLを保ったまま生きれるのではないかと。
今ここで安楽死することにも反対はない、と。彼は確実に死が近づいてきてるから。
苦しい最後になる前に安楽死の予約がとれるとも限らない。
この健康状態だと、あなたが働いてる間に一人で死んでしまうかもしれない。
あなたのチョイスです。と言われました。
私は泣きじゃくりながらも、まだご飯を食べて、なんだか楽しそうにしてるマメタを今そこで逝かせることはできませんでした。
で、薬のプランを変えて、もう痛み止めだけ。甲状腺のお薬は続けてもいいし、続けなくてもいいし、彼が好きなように好きなことだけさせてあげましょうと。
しかし痛み止めはあげてみると強すぎるらしく、ふらふらになってしまったので
輸液と甲状腺のお薬を様子を見てあげつつ過ごしました。その間にたくさんの抱っこや家族でたくさんのいい時間を過ごせました。天気も良く毎日外か出窓で昼寝をしていました。痛み止めも様子を見ながら彼の寝る時間に合わせてあげました。
10日が経ち何かが変わりました。
楽しんでた様子が一気になくなり、よだれが増え、腐臭がますます強くなりました。
顔のかたちがかなり変わり、腫瘍のサイズがすごく大きくなってるのがわかりました。
食べる量が一気に減りました。
何よりも呼吸が少しおかしくなっていて、寝ててもお腹で頑張って呼吸しているのがわかりました。私の膝に最後にのったのは火曜日の夜。その後は体がきつそうでベッドの上でしか寝ませんでした。
それを見て、これ以上苦しませるのは酷だと、思いました。
私の勝手な希望で延命をしてきてしまった。
最後は苦しくなく逝ってほしいと、これも私の勝手な思いで、安楽死を決めました。
金曜日、2週間後に戻ってきた獣医さんは、そうですね、もう時間の問題でしょう。もうこれ以上は、と思います。。と賛成してくれました。とても強い良い子ですね。。と。
まだ動けてました。
まだ出窓に登れました。
まだお外で昼寝できてました。
最後の朝ゴロゴロいいながら私を起こすこともしてくれました。
でももういつものルーティンもしない。
トイレを漏らしてしまった。
クリームチーズをねだりにこない。
膝のうえでお昼寝もしない。。
何より異臭のするよだれが大量に出続け、顔がもうつらそうでした。
もういつ亡くなってもおかしくない状態でしょう。腫瘍が喉を圧迫していて、おそらく息をしにくい状態になってると思います。と獣医さんに言われました。覚悟を決めて最期のお別れをすることにしました。
最初に眠らせる薬。
その注射は少し痛かったみたいで、少し嫌がりましたが私の腕の中で落ち着きました。
そして薬が30秒くらいですぐに効いて、グッタリしました。
ぐったりしたマメタをいつものブランケットの上におろし、そして最後に足から管を入れて、心臓を止めるお薬を入れます。
1分もしないうちに彼の体から魂が抜けました。手を通してエネルギーがフッと消えたのを感じました。私はずっと撫でながらマメタに語りかけました。泣きながら叫んでたかもだけど。。。
辛くて辛くて。。。
あんなに覚悟していたのにそれでも辛くて。。少しでも獣医さんの注射で怖い思いをさせてしまったのも辛くて。。
それでも私の腕の中で意識をなくしたというだけでやっぱりもがき苦しむよりもよかったのかなとも思ったり、これでよかったとも完全に思えなくて。
あんなに苦しくつらいお別れは父を亡くした時以来でした。
ありがとう、ありがとう、君は世界で一番の最高の猫だよ。
大好きだよ。何度も繰り返し伝えました。
体温がみるみる抜けていって
ピンク色の肉球が真っ白になりました。
私は寒くなったらかわいそうとブランケットをかけました。
もう暖かくなることなんてないのに。
頭ではわかっていてもこの子を世話してきた思考回路が止まらなくて。
愛しい愛しい我が子のように思ってきてしまったから。
いつもそばにいてくれたから。
マメタは私の子供でありパートナーであり私をいつも見守ってくれてた天使だったから。
彼を庭の木の下に埋めました。
まだ少し体温が残っている体を土の中に埋めるというのは頭ではわかってていても難しくて。土かかっちゃったらかわいそうじゃないか。。。って。でもさよならしなくちゃねっていいながら、もう魂の抜けてしまった体を土に還さなければって、頑張って埋葬しました。夜だったので暗くなる前に、と。
彼がいなくなって3日。
私はまだ彼がいないこの世の中を受け入れることができていません。
世話をしているつもりでした。
彼の猫生をできるかぎり幸せなものにしたくて頑張ってきたつもりでした。
でも実際は彼から与えてもらったもののほうがずっとずっと大きい。
私は後悔はないんです。
すべて出きることはやったと思うし、17歳まで生きてくれたし、
息子が里子のころ、暴力的で大変だったとき、ほとんどかまうことができなかったのに、マメは常にそこにいてくれたんです。
きっとストレスをためさせてしまっていただろうに、私がつらくて泣いてるとそばにきてただただ、一緒に居てくれたんです。
息子が徐々に落ち着くと、息子の膝にも乗るようになり、彼が寝られないときは彼のベッドのそばの椅子にのり、彼が落ち着くまで一緒に寝てくれました。
息子が寝入ると、仕事が終わったとばかりに椅子から降り、私と一緒にベッドに入るのです。
マメタは私たちを守ってくれました。
支えてくれました。
私たちがマメタをかわいがる以上に、彼は与えてくれた。
まだ彼のいない世界を受け入れることができていないけど、
ただマメタが言ってくれるような気がしてるです。
僕、ママに教えたでしょ。大丈夫だから。つらいことあっても大丈夫だから。僕がいつもそばにいたときに感じた安心感。思い出して。
大丈夫、やっていけるよ。
また会おうって。
私も毎日言ってました。
マメタ、もうあなたの命が尽きるのが近いのはわかってるけど、また次の命でも絶対一緒に過ごしたいね。って。一緒にまた過ごせるのを祈ってるよって。ほんとは一緒にいれるならずっと一緒にいたいよって。いつもそう言うとゴロゴロいいながらしっぽを私の腕に巻いてくれました。
(しっぽでいつも返事をしてくれたマメタです。)
だから、いつかまた会える。
マメタはもう元の肉体にはいないけれど、そう信じて生きたいです。
私にとっては本当に特別な存在だったマメタ。
捨て猫なんて2004年に彼を拾った時以来見ていません。
でもマメタは私の前に現れた。
父が亡くなった年の次の年にひょこっと現れてずっと守ってくれてた。
父の代わりに、見守ってくれてた。そう思っています。
まだ受け入れられないけど、少しずつ、少しずつ。
彼が私の人生に来てくれたことをあまりにもありがたく感じています。
一緒に庭で過ごしたたくさんの時間。
カウチで一緒にうたたねした時間。
家族みんなで団らんした何気ない日常がどれだけ最高の瞬間であるか。
マメタは大切なことをたくさん教えてくれました。
本当にありがとう。
マメタは最高の猫だよ。
マメタのいない世の中は私にはつらいけど
マメタのいない家に帰ってくるのは予想以上につらいけれど
君の姿をずっと探してしまうけど
君がくれたたくさんの幸せな思いを忘れずに
生きれるように頑張るから。
いつかまた会える日が来ますように。。
大好きなマメタ。さようなら
(お日様が大好きだった元気な頃のマメタ)