カリフォルニアの庭と黒猫と里子

庭・猫・健康・里子のことなど

養子へ

里子が来て1年と2ヶ月ちょっと経ちました。

 

色々ありすぎたから言葉がまとまりませんが 

養子としてこの子を育てることをやっとこさ決めました。

 

最初の6ヶ月はとにかく里子も私達もサバイバルモード。

 

実際にもうあんまり覚えてないんです。

なんとか毎日やっていっていただけ。

 

ブログに少し残しておいてよかった。 

振り返って読んでみると, 私がてんてこまいになっていたのがよく分かります! 

 

 

まだまだ難しいこともあり、毎日試行錯誤のなかでやっていますが、今まで助けてくれたたくさんの人たちのおかげで対応するための道具や引き出しがふえてきたような気がします。気持ちはずっと楽になりました。

 

そして最近はすっかり私達の子供, という感覚が染み付いてきました。

この子の見かけは私とも旦那ともぜんっぜん違います。

才能も私たちの遺伝子ではない事はあきらかです。(運動神経がめちゃくちゃ良い。。。私たちは運動下手ではないけどすごく良いわけではありません)

 

でもわたしの旦那のように, 自分をすぐに卑下するところがあります。旦那のように体を動かしていることが大好きです。優しいけれど, 大切なものを守るためには勇気をだして戦うタイプです。

 

そして, まるで私に似たように,便秘になりがちだし, 喘息持ちだし, アレルギー性鼻炎もあります。食べ物の好みも私と似ていて, 魚やシーフードが大好き。このあいだ初めて食べさせた私の大好物のそら豆も、美味しい美味しい言って完食しました。

 

遺伝子を伝えてなくても似ることってきっとあるし, 実の親子でも似てないこともあると思うのです。

 

それでも旦那とたくさん話して, 話して、話しても答えがなかなかでませんでした。

 

 

私達の里子は黒人です。

 

旦那は白人。イタリア系とイギリス系のミックスで, 金髪碧眼みたいなタイプではなく, 背も低めで髪も暗めで, 足も短めの毛むくじゃらのオッサンです。

 

私はザ*アジア人っていう外見です。

 

この決心をしていく過程で里子の人種もなかなか決められない要素の一つとなりました。

 

私は人種の壁を持つ事があんまり好きではなくて, むしろ人種のるつぼ, みたいなところに来るとワクワクしてしまうタイプです。アメリカの暮らしの中で楽しいことは、いろんな国の人たちと出会い、そして一緒に働けることです。でも子育てになると 違う。

 

黒人どころか, アメリカ人でもない私が育てるのがこの子のためになるのか。

 

黒人を差別することを平気でしていた家庭から来た旦那は心の底にあるその意識を捨てられるのか。

 

黒人としてのアイデンティティをこの子は確立して行くことができるのだろうか。

 

アメリカの黒人差別は根が深い。私だって差別されることはあるけれど、黒人の男の子は警察に銃で撃たれる確率も高いし、黒人の女の人が昇進する確率は他に比べてとても低いのだとか。 

 

人種のことだけでもたくさんの課題があるのです。

 

黒人として育ってこなかった私たちには黒人の男の子としてこの国でどうやって生きていくかのノウハウを教えてあげられないのです。

もちろん周りの黒人の家庭に助けを求めていく予定ですけどね!

 

そしてこの子には、違う家庭にもらわれていった兄弟姉妹もたくさんいます。 

この子を引き取るということは, そんな家族達との関係もひっくるめて受け入れるという事。

 

虐待をされていた過去、母親が自分のことを育てられなかったこと。兄弟姉妹と一緒に生きていけないこと。重すぎるものを小さいころから抱えていかなくてはいけないこの子を十分にサポートしてあげられるのか。

 

自分はそのストレスと上手に付き合っていけるのか。

 

もう不安要素を出したら切りがありません。

 

 

でも子供達と仕事をしていて、いろんな親と関わっていると気づきます。

 

自分の子供だって育てるの不安だよね。

不安で当たり前。

自分のしていることは正しいのか。

もっといい親になれないか。

毎日疑ってしまう。

特に発達障害などがあるとなおさらです。

 

完璧な親なんていないし、完璧な子供なんていない。

 

みんななぜか生まれてきて、それぞれの命をそれぞれの場所で全うするだけ。

 

いつ死ぬかなんて誰にもわからない。

 

ただ愛を知らないで死ぬ人間が少ないといいなと思うのです。

何もしなくても自分は愛されていいんだよっていうことを知らないのは悲しすぎます。

 

だから、私たちは私たちなりに、一生懸命できることをやって、愛を伝える。

それしかできません。

 

この決断をしたときに、私は一つだけ決めたことがあります。

それはひとりよがりにならないこと。

 

人に助けを求める。

自分で何でもできると思わない、ということ。

子供を育てることって一人でやることではないと思うし、学校や地域の人たち、家族にたくさん助けてもらって生きていく。

 

もうすでにたっくさんの人が彼の人生にかかわっています。

今までかかわったセラピストはすでに6人。ソーシャルワーカーや、町の人、学校の関係者。

みんな一生懸命私たちを支えてくれています。

まわりの友達もたくさん応援してくれています。

いっぽうで少し距離をおかれた友達もいます。

 

でも自分に正直に。

弱音吐いていいから

それでも助けてくれているたくさんの人たちと一緒に、

差別や貧困の差、不平等な世の中に立ち向かう。

私たちの決断はそんな意思表示でもあります。

っておおげさに聞こえますけどね。

でも彼が背負ってきたものはまさに差別、貧困、不平等が生み出した社会の負の部分です。

 

 

私たちは、最初はただただ自分たちの子供が欲しかった。

子供を一緒に育てたかった。

でも赤ちゃんが私たちのところに来ることはありませんでした。

 

自分たちを何度卑下したでしょう。

遺伝子的に子供を残してはいけないんだろうか、とか

生物学的に弱くて残せないんだとか、

知り合いや友達に、赤ちゃんは親を選んでやってくるんだよ、とか言われるたびに深く傷つきました。

 

実際そうなのかもしれません。

 

でも私達に与えられた道はこれなんだと今は思っています。

 

来月の法廷でソーシャルワーカーからケースプランが提出され、そこから早くて半年、長くかかって一年以内に養子になるでしょう。

 

いやはや、小さいころはアメリカ人と結婚するなんて微塵にも思っていなかったし

ましてや全く違う人種の子供の母親になるとは。

 

人生わからないわ~~!!

 

これは土曜日に行ってきたハイキングトレイルの写真です。


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上が去年の12月。

下がおとといのもの。

 


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ここ10年の干ばつ、2年前の山火事、土砂崩れや洪水で随分と地形が変わっていましたがそれでも一時期はほぼ完全に乾いていた川も戻ってきて流れています。火事でやけた樫の木たちは幹が真っ黒になり死んだように見えていましたが、中から青々とした緑の葉っぱをだして生きていました。


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この地域で藻が育ってるのも初めてみました。

完全に乾いてしまうことがあるこの川には魚は見られないのですが、今年はカエルやアメンボ、ゲンゴロウみたいなのもたくさんいました。(本来ダムができる前は鮭だって上がってきていたらしいんですけどね。)

毎年の変化や自然のもつ回復力に感動しました。

私たちも自然です。地球のものでできた、地球で生きるように適応した生物です。自然は常に変化していきます。そして自然はいつも治す力を持っている。

 

人間にはほかの生物たちよりたくさんの自由意志と選択支があります。

 

その選択が間違っているか、あっているかなんてその瞬間はわかりゃーしない。

でも間違った選択と思ってもあとから見たら必要なことだったりするかもしれないし

間違ったと思った選択があったから成長できたりする。そして間違って傷ついたとしても、治ることは可能なんだと。

 

そう信じてやっていけるといいな。

 

なんだか決心文みたいになっちゃいましたが

これもまた後で読むときっと助けになるので残そうと思います。

 

今日もまた、感謝して生きていきます。