カリフォルニアの庭と黒猫と里子

庭・猫・健康・里子のことなど

自分の時間 

今日は6週間ぶりに子供がいなく(幼稚園)、自分のクライアントもいない朝を過ごしています。

 

なんて幸せな時間。。。

 

母には自分の時間がほんとにない。

 

せっかく子供いないからゆっくりしたいのに、周りを見渡すとしまわれてないクリスマスのデコレーションやリサイクルの山、整理しないといけない郵便物の山、猫の毛と砂が廊下の角にたまっていたりするのがどうしても目に入る。。。トイレも汚い。窓も汚れている。気が付けばどんどんやることが出てきます。

 

 

あーブログなんて書いてるひまがあったら、さっさと掃除して洗濯してごはんの準備して庭掃除して。。。

 

という思いもかけめぐるのですが

 

掃除洗濯整理整頓は子供がいてもなんとかできるけど、こうして座って、仕事もしないで思いにふけることは子供がいたらできないし、仕事のある時はできない!

 

と思ったので今日は書くことに決めました。

 

最近は夜も疲れ果てているので何も書けないし。

 

 

と言ってみたところで特に大したことを考えているわけではないのですが。

 

 

自分の時間を持つことは働く母にとって至難のわざであり

かつめちゃくちゃ重要な時間だなあとつくづく思います。

 

 

さて、こんな朝につい私がやってしまうこと。

 

庭のお手入れです。子供を幼稚園に送ったあと、ついつい庭に座り込んでしまいます。

 

雨がふったばかりの南カリフォルニア。雨の後は雑草を抜くのに好都合なので、しゃがみこんで雑草抜きを始めちゃうわけです。

 

 

庭仕事って何かと物思いにふけりやすいのです。せっせと雑草をつまみながら、マンガ好きの私はついついマンガっぽいせりふが頭の中に浮かんでしまいます。

 

「このような芽はいまのうちに抜いてしまわねば」(悪役の政治家のイメージ)

とか

「この小枝は成長しすぎだ。本枝が弱ってしまう。かわいそうだが切らねば。」(会社のお偉いさんのイメージ)

「君たちの犠牲のおかげで庭は元気になる。」(もうよくわからない)

 

などなどくだらないことを考えながら雑草をぬいたり剪定してしまうのです。

 

「根っこがしっかりしなければ育たない」(子育てに通じる)とか、

「植えられた場所が悪かった。この株にあった環境に植え替えてあげれば元気になる」(里子に通じる)とか

「この子には明るい光と風通しが必要なのよ。。」(だれ?)とかね。

 

ほんと庭仕事やってるとそんなAnalogy、日本語で、類推というのかな?がたくさん出てきて、1人で不気味につぶやいている私です。

 

土や植物の命を触りながらそんなことを考えたりするのが楽しいのです。

 

さて、あと2時間しかないけれど

 

少し長めのシャワーにはいって、昼ご飯の準備したらたぶんもうお迎えの時間。

 

庭を触って、自分の言語で書いて、静かに座った1時間、幸せでした。

 

さて、次に書けるのはいつかな~~。

 

写真は大好きな庭のバラ。たぶんもうこれでシーズン最後かな。今月末には全部また短くしてきれいにして、来年にまた花がたくさん開くようにお手入れです。

 

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里子が来て以来ぜーんぜんお手入れが行き届いていなかったバラたち。里子は落ち着いてきたし、今年こそは!と意気込んでいます。