ちょっと思い出話
イエローストーン国立公園はいつか行ってみたい場所の一つなのですが、最近ガイザー(間欠泉)が活発になって湯量も増えているというニュースを見ました。
いつ大噴火が起こってもおかしくないと言われているイエローストーン。
チキンの私はしばらく行かないかも知れません。(笑)
ハワイ島も噴火してるし、いつ何が起こるかは私たちには計り知れませんね。
イエローストーンとハワイ、と来ると、私には忘れられない思い出話があります。
今から10年前の夏、母が急に脳出血を発症して病院に運ばれました。
仕事の後に友達と呑気にカラオケをしていたら姉から電話があって、母が倒れたこと、意識もないこと、医者から危ないかもしれないから家族を呼ぶように言われたことを知らされました。
独身だった私は、その当時のボスに電話をして、次の日の便で急遽日本に帰らせてもらうことになりました。
父をなくして5年たった頃でした。
私には姉妹がいるのですがみんなお嫁にいっていたので、独身は私だけ。
母がいなくなってしまうことを想像すると辛くて寂しくて悲しくて。。。1人になってしまう。そんな気持ちも入り混じっていました。
12時間の飛行機の旅が長く感じられ、飛行機が日本に近づいてくると、最悪の状況を想像してしまい、涙が止まらなくなってしまいました。
一人で飛行機に乗って泣いてるのはとても恥ずかしかったんですがなんせ涙もろい性格なので、抑えることが出来ませんでした。どうしようもなくなっていたら、隣に座っていた方が声をかけてくださいました。
「大丈夫ですか?何かあったの?」
ちょっと躊躇しながらもティッシュを差し出してきたのは、隣に座っていた恐らく60代・70代くらいの日本人のおじさんでした。
「すみません、涙が止まらなくなってしまって。」
「いやいや、急に泣き出したからどうしたのかなと思って。」
「実は。。。」
優しそうなこのおじさんに、母が急病でいつ危篤になってもおかしくないと言う事を伝えました。
そしてごちゃごちゃ考えてしまっていたことを話しだしてしまいました。
母が死んだらどうしよう。死に目に会えないかもしれないと考えると泣けてしまう。。そして母が生き延びても重度の障害が残ったらキャリアよりもきっと母親を介護することを選択する気がすること。留学を終えて最初の仕事についていて、今の仕事が好きで続けたいこと。このままキャリアをアメリカで重ねたいこと。そんなことをゴチャゴチャ考えてたら涙が止まらなくなってしまったことを説明しました。
少し間を置いて、おじさんはご自分のお話をしだしました。
おじさんは神奈川県にある小さな私立大学で教授をしている人で
専門は温泉学だと。
おじさんは若い頃、温泉学を学ぶためにフランスへ留学していたこと。
フランスの留学中にお母さんが倒れたという手紙が届いたこと。
その頃は飛行機なんて乗れなかったからシベリア鉄道と船を乗り継いで日本に急いで帰ったこと。
旅に時間がかかりすぎたその当時、おじさんはお母さんの死に目に間に合わなく、そしてフランスに戻ることはもう出来なかったことを語ってくれました。
自分の夢であった留学も志半ばに諦めざるを得なかったこと。母の死に目に間に合わなかったこと。とても悔しくて辛かったと語ってくれました。
その話を聞いて、心が痛みました。それと同時に一昔前は留学がどれたけ一大事だったか。行くのも帰るのも今よりどれだけ強い意志が必要だったか。若かった頃夢を叶えたかったおじさんがどれだけ悔しい思いをしたか。今この時代に海外に住んで好きな仕事で働くことが出来て私はどれだけ幸せものなのかということに気づきました。そして私と同じような状況で、でももっと辛い思いをされた方の話を聞いて、心を落ち着けることが出来たのです。
私が泣き止んだあと、おじさんは、アメリカではイエローストーンを見に行っていたと教えてくれました。
そして温泉に関する色々なことを話してくれ、世界の三大ホットスポットの話をしてくれたのです。
もともとそういう話は大好きなので、興味深く聞かせていただいて、世界の三大ホットスポットはハワイ、アイスランド、イエローストーンだということをおじさんから学びました。おじさんはアイスランドとハワイにはもう行ったことがあって、あと残りはイエローストーンだったからやっと夢が叶ったと、楽しそうに話をしてくれました。
辛いと思うけど、頑張ってね。と最後に声をかけて頂きました。
日本についに到着し、私は早々とおじさんにお礼を言って急いで入国審査に向かいました。
今でもあの時のおじさんのことは忘れられなく、そして何より私を慰めようとご自分の話をしてくださり、楽しいお話をして私の気を紛らわせようとしてくれた優しさを忘れられません。
去年アイスランドを訪れたこともあり、キラウェアが大規模に噴火して、イエローストーンが活発になったと聞いて、またおじさんのことを思い出した次第です。
いつか私もおじさんがしてくれたように、自然に人に優しく出来たらいいなあと思いました。
そんなちょっとした思い出話でした。
チャンチャン。
ちなみに私の母親は私が日本に着いた日は意識がなかったのですが、
一週間ほどして意識が戻り、意識が戻ってからというもの食べ物を催促する元気な患者となりました。
中度の障害が残ったため、結局私は自分のキャリアを中断して、2年間母のリハビリのために帰国することになりました。
母は一生懸命リハビリをして、2年後には自分でほとんどのことは出来るようになりました。障害は残っているし見ていて危なっかしいのですが、母がまたアメリカに戻って頑張っておいで、というので素直に甘えさせてもらい、アメリカに戻ってキャリアを再開する事になったのです。ありがたい事です。
あの時戻る選択をしていなかったらどうなっていたのだろう。
日本に帰らない、またはアメリカに戻らない。そんな選択をしてたらどうなっていたのでしょうね。人生にWhat ifはない。 今のこの道はあの時の選択なしでは有り得ない。
人生は、不思議です。
写真がないので綺麗に咲いた庭のバラを。
このバラは私に母性を思い起こさせます。私の母親っぽくは全然ないのですが!笑
この薔薇のように可憐で柔らかく、でも強く大きく!こんな薔薇が似合うおばちゃんにいつかなりたいと思います。。。。多分無理だけど!