カリフォルニアの庭と黒猫と

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不妊症 里親登録 子供を持つ、持たないという選択 その2

私の仕事は理学療法士。

ここ3年ほどで、大人のセラピーから子供のセラピーに少しずつ移りました。

大学を卒業して免許を取りたての頃、なぜか子供のセラピストにはなりたくなかった私。最初の頃はNeuro、つまり神経学系のリハビリに一番興味があったのです。脳卒中で色々な障害を負った人のリハビリや、脊髄損傷などで動けなくなった人たちのリハビリを最初の1年半やりました。

歩けなくなった人が歩けるようになったり、また人生をやり直そうと人が変わっていく姿を見ては感動し、とてもやりがいがある仕事でした。 今でもやりたいことの一つです。



10年が経ち色々な職場を経験した後、知り合いの言語療法士に一緒に働いてくれる小児科のPTを探してるんだけど、やってみない?と言われました。
私は子供のセラピーにあんまり興味もないし、経験もないから、と最初は断ったのですが、職場も家から5分、病院の仕事で体調が悪かった私は、説得されて少しずつやってみることにしたのです。


そしたら案外ハマってしまいました。


子供はある意味Neuro、 脳神経学の知識を使う患者なのです。だって常に脳も体も発達しているわけです。歩けない子、立てない子、ケンケンパできない子、自転車に乗れない子、そんな子達の脳と体の繋がりを助けてあげる仕事なのです。た、楽しい。しかもみんなかわいい。子供のいない私も子供に関われる!となって今に至ります。



そこで、養子になった子や里親に引き取られている子供を診る機会が増えました。
里親としっかり結びついている里子や養子に出会い、傷ついていたけど少しずつ傷を癒しながら成長していく子供たちを見て、養子や里子という選択肢がある事に気づきました。



その頃パートで働いていた大人のクリニックでは患者さんに、子供はいるの?とよく聞かれました。いないんですよ〜。不妊治療しようか迷っているんです。って感じで軽く言うと、けっこう自分のことを話してくれる患者さんがいて、不妊治療の末に出来たよ。とか、不妊治療しても出来なかったのにやめてからいきなり出来たよ。とか色々な話を聞きました。何人かの人は養子をとった話をしてくれました。 何故か私の心には養子の話が一番心に残りました。



養子が一般的なアメリカ。養子でも家族は家族。血が繋がっていることが家族だけではない。家族の形は変わってきているし、アメリカではゲイカップルやシングルマザーが子供を養子にとることも当たり前になってきています。養子やフォスターシステムを話題にしたテレビ番組なども沢山あり、少しずつ養子に対する考えが頭の中を占めてきて、旦那と話していくうちにその選択肢がどんどん大きくなってきたのです。



その頃から養子に対するリサーチを始めました。

養子と言ってもこれまたいろんなやり方があるんですね。



プライベートで弁護士を雇う。
国内、国外。
養子斡旋のエージェンシーを使う。
里親システムに登録して、里親の過程を経て養子をとる。
里親システムのエージェンシーから、養子候補を待つ。

と言ったところでしょうか。



ちなみにざっと調べた結果プライベート養子は国内で150万円、国外だと平均300万から350万かかるそうです。


里親システムは逆で、お金はかからず、月に子供の生活費が地方自治体から出ます。



プライベートで養子をとるのは大変なお金と労力がかかります。エージェンシーを使っても待ち時間はすごく長いかもしれないということ。逆に里親システムでは、子供を預かってくれる家が常に不足しているため、地方自治体は宣伝をして里親を増やそうとしています。しかも金銭サポートも出るし、子供が大学に行くことになった場合大学の奨学金が出るということ。



ただ、里親システム(フォスターシステム)に入る子というのは、大抵親が麻薬中毒者であったり、犯罪者であったり、家庭内暴力の被害者。親戚に引き取ってくれる人もおらず、傷ついた子達ばかりです。

だから常に里親が足りてないんでしょうね。私たちも、最初は消極的でした。



でもフォスターペアレンツをしている人たちに出会い、システムを勉強するクラスを取り、理解していくうちに、こうするのが一番いいのでは、と思いはじめました。私たちの郡には1300人、ロサンゼルス郡には二万人以上も長く暮らせる家のないフォスターキッズがいるということでした。



また、私の旦那は家庭内暴力のある家で育ちました。
身体的暴力ではなかったのですが、精神的暴力で傷つきながら育った人です。ゲトー出身ではないものの、高校のアルバムなんかを見るとすでに麻薬やギャング関連で亡くなってる同級生は大勢だし、近所の家でもここでは殺人が、ここでは自殺が、ここの子供は刑務所に、など、平和な恵まれた環境で育った私にとっては全然違う環境で子供時代を送ってきました。 10歳の頃自分の身は自分で守れと、父親に銃を枕元に置かれたそうです。私からするとありえなーーーーい!となるのですが、アメリカではよくあることなのでしょう。(ちなみに旦那も義父も、今は銃を家に置いてません!そうだったら結婚してない。)



旦那にとってはフォスターキッズの気持ちに共感できる部分がある。それに対して私はとても幸せな家庭で育ちました。もちろん問題がなかった訳では無いけど、家族から愛されていることを常に知っていましたし、自由に楽しい子供時代を送った幸せもんです。


旦那と私で足りないところを補ってやっていけるのじゃないかと思ったわけです。



血の繋がってない子供を育てることにあまり抵抗がないのには、私たちに家族の両方に結構重症な精神的疾患があること、旦那の母親が珍しい大変な脳の病気で亡くなっていること。そして私達両方の姉妹には既にたくさん子供がいて、親にとっても孫は既にたくさんいる、ということがあります。


色々なことを総合的に考えた結果、私たちはフォスターペアレンツになろうと決心しました。



今日はここまで。
次回はフォスターシステム登録の過程と、日本人でフォスターペアレンツをすることの葛藤について書きます。