カリフォルニアの庭と黒猫と里子

庭・猫・健康・里子のことなど

里子のクリスマス

我が家に来たこの子は、セラピスト達にもソーシャルワーカーにもOne of the most severe cases。最悪のケースのうちの一つだと言われています。骨折や意識不明などで入院したことがないのがうそみたい。死ななかったのがすごいよ。。と言われるくらいです。まあこの子、強いし身体能力が高いので生きてこれたんだと思います。

毎日私たちが考えやっていることは沢山ありすぎてどこから書けばいいのか分からなくなってきました。でも話題をひとつに絞って、少しずつ記録を残したいと思います。


というわけで今回クリスマスが近くなってきたのでクリスマスの話を。



クリスマスが近づくとクリスマス商戦でめちゃくちゃ盛り上がるアメリカです。どこいっても、ネットでも、おもちゃの宣伝ばっかり。。。みんな浮き足立って興奮した雰囲気が広がります。母親達はストレスたまってるのでピリピリした空気もあります。



里子とのイベントはなかなか難しいのです。
なぜかというと今までどういうふうにイベントやホリデーを過ごしてきたか、私たちには未知だからです。


一応聞いてみました。「去年のクリスマスはお母さんと何かしたの?」

里子、「何もしなかった。。」と言って下をうつむく。。

「そうか、サンタさん来なかったの?」


「うん。サンタはクリスマスに来るの?プレゼント持ってくるの?」


「そうだよ。クリスマスツリーを飾ったことはあるの?」


「ない」


「そうか、去年は煙突のあるおうちにいたの?」


「ううん。」


「そうか、じゃあサンタさん、あなたがどこにいるか知らなかったのかも。手紙も書かなかったでしょ?今年はツリーを置くからサンタさんもどこにプレゼント置けばいいのかわかるし、煙突もおうちにあるからきっとおうちに入りやすいよ。あ、でも良い子にしてないと来ないからね!」

「うん。分かった。いたずらっ子だとダメなんだよね。」

「うん、そういう歌があるよね!知ってるのね。サンタさんに何をお願いしようか?」


「うーーん。リモコンで動くバイク!!」

という会話をしたのが3週間前。一応なんとなくの知識はあったっぽいのですが、体験したことは無かったみたい。

あー今年のクリスマスは楽しいものにしてあげよう!と私も意気込みそうになってたのです。。。

が。。



先週サンクスギビングが終わってからクリスマスツリーを引っ張り出して飾ることにしました。


ツリーの飾りが入った箱を出してきて、里子に見せて、どんな飾りがあるか自由に見ていいよ、好きなのあるかな?と言って私は台所に3分ほど用事を済ませに行きました。


そして戻ってくると。。。。。


里子、入ってた箱のそばに座り込み、飾りたちを床に投げ、包んであった紙などもごっちゃごちゃに散らかして、その真ん中で座って、割れそうなものをガチャガチャ音を立てて触っていたのです。


ひえーーーっ!


怒ってなげてたとかじゃありませんでした。これはまるで1-2歳の歩き始めたばかりくらいの赤ちゃんが色々入った箱から中身を出して散らかしてる図でした。


手に取ってみたことの無いクリスマスの飾りを不思議そうに眺めている大きな5歳の子供。。(身長119cm!)その姿はジャイアントベイビーでした。


ハッ!!Σ(´□`;)全然考えてなかった。。。ほんとに初めてなんだ!幼稚園児だけど、クリスマスに関しては1歳レベルなんだっ!!飾りみるのも手にするのも初めてなんだ!!


凄まじい環境から来たこの子はもしかしたらツリー自体見たことがないのかも?見たことあってもそれが何かわかっていなかった??


旦那が小さい頃から使っているクリスマスの飾りを壊される前に、慌てて「飾りは壊れやすいからそうやって出すものじゃなくて、1つずつ出して、丁寧に触るのよ〜。。。」と言って、とりあえずしまっちゃいました。

もう15個くらいの飾りを見ただけでいっぱいいっぱいになった里子はその後家の中を走り出して限界到達。


頭で処理できない情報量が入ると、この子、走り出し暴れだし、落ち着かなくなるのです。


その後落ち着いたあともツリーに対して興味もなく、飾りを見ることも無く、電飾を付けても消してしまいます。


何これ。ふーん。光が嫌だ。と。


なんにしても刺激が苦手です。
新しいことはなんでも苦手なのです。


飾りだけでこんなんですからプレゼントも気をつけなくてはいけません。アメリカの子供たちはXmasといえば親戚、友達など色々な人からプレゼントを受け取ります。ウッキウキの季節です。


持ち物を所有したことがおそらくなかったこの子は基本的におもちゃに対して愛着がなく、貰ったものも飽きるのが早い。。。お気に入りのおもちゃ、というものがなかなかありません。ここら辺も1-2歳のレベル。


親戚や友達は、張り切ってプレゼントをくれようとしたり、クリスマスを盛り上げようとしてくれるのですけれど、実はかえって里子の不安を掻き立ててしまいます。なんてったって〝普通のクリスマス〟は初めてだから。

この子はおもちゃを手に入れるより、一緒に遊んでくれる家族が何より欲しい。ずっと家族になろうって言ってくれるのを待っているんです。


私達はものにまみれて生きてるし、私はそういう世界で生きてきました。


でも里子に気付かされます。1番大切なのは一緒に毎日を過ごす家族と友達だと。プレゼントより、クリスマスより、家族と一緒に過ごす普通の毎日が何よりもの幸せなのです。


きっと子供はみんなそうなんだけど、忘れがちですよね。


大事なことを教えてくれる里子に感謝です。



まあそういう訳で、今年のクリスマスはシンプルに、最小限で。5歳で迎える初めてのクリスマスは静かに暖かく過ごせるといいな。それでも子供時代のいい思い出のひとつになってくれたらいいなと、願っています。

里子が来て8ヶ月

里子が我が家に来てから8ヶ月が経ちました。

最初の大変だった時期に、里親を私たちよりも長くやっている方に、「物事がスムーズに行き始めるのは大体7ヶ月頃からだよ」と言われた事がありました。

言われたとおり、7ヶ月を過ぎたあたりからだいぶ楽になってきました。


子育てにある一般的な難しさはもちろんあるのですが、楽しいことが沢山増えてきて、大変だったことを忘れられるようになってきました!


彼らの脳をRe-wire, 再構築すること。私たち里親が虐待されていた子供を育てていくにあたってよく聞かされる言葉です。その第一段階が7-8ヶ月をすぎてやっと進んだ気がします。


初めに来た頃のこの子の頭の中では次のような公式が成り立っていました。

大人=信頼できない。怖い。
ママ=置いていかれる。帰ってこない。愛してほしいけど怖い。叩かれる、殴られる。
パパ(大人の男性)=殴られる。怖い。
食べ物=口に急いで突っ込まないとなくなる
夜=悪い事が起きる
警察=家族と離れさせられる
トイレ=悪いことが起きる
自分=悪い子

などなど、とても悲しい公式が沢山出来上がっていました。

これらが完全になくなった訳ではありませんが、少しずつ変わってきたように思います。


まだまだPTSDの症状は出るし、ちょっとしたきっかけでパニック発作のようになることはしょっちゅうです。そんな時は抱きしめてあげればだいぶ落ち着くようになってきました。
自信もすこーしずつついてきたようです。


私がイライラしないでゆっくり教えてあげることが何よりの鍵なのですが、心の狭い小さい私はイライラしたり、この子が来た環境に対して怒りを感じてしまいそれを表に出してしまったりします。
毎日反省の連続です。


そんな親の私たちでも信頼してくれるようになり、子供らしい笑顔を見せてくれたり、自然と抱きついてくるようになりました。私たちも自然と愛おしさが湧くようになりました。


仕事をしながらの子育てはきっついし、やはりドラッグを妊娠中に母親から浴びて育ったであろうこの子は、衝動に問題があるし、集中力にも問題があるし、感覚統合障害や多動などの症状のオンパレードです。


忍耐も必要ですが、自分の時間をなるべく持つようにして、そしてどうにかなるさ、この子もなんとかやっていけるようになるさ、と信じて毎日過ごしていくっきゃないです。


12月にこの子の生みの親の親権がおそらく停止させられるので、その後1年くらいかけて養子のプロセスに移る予定です。この子を養子として受け入れる覚悟みたいなものが最近出来上がってきて、自分でもびっくりしています。


人生は計画したようにはいかないもの。この先どんなサプライズが待っているんでしょうかね。大なり中なり小なり、人生はやっぱり冒険です。



さて、庭ブログとして始めたくせに今年は全然庭仕事出来てませんでしたが、グアバの実が沢山なりました。ので久しぶりにちょっと写真でも。。


全く手入れしなくても勝手に育ってくれる優秀な木、グアバ。日本ではあまり食べる機会が無いかなあと思いますが、最近はどうなのでしょう。アメリカでもお店ではなかなか売ってません。なんせ、痛みやすいし、部屋にひとつ置いておくだけですんごい匂いなんです。


味を説明するのは難しいのですが、言ってみれば、バナナと桃を混ぜたような食感で、パッションフルーツとマンゴーとりんごとバナナを混ぜたような味??とにかくクセがあるのですが、ハマる人はハマります。実はオレンジよりもビタミン値が高いとか?


昨日と今日でなんと40個もとれてしまいました。

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こんな子達です。ピンクの種類もありますが、これは中身も白っぽいものです。


明日はグアバ好きな人達に配る予定です。

やっぱり庭に果物の木があるの楽しいワ💕
もっと広い庭のあるうちに引っ越して毎月違う果物が食べれるような庭にしたいなあ。(*´﹃`*)

それではまた(^_^)/~~

里子が来て7ヶ月

続けて今年の夏のまとめと現在の記録を綴ります。
しかし色々ありすぎて、上手く文章にできません。
まとまりがなくてすみません、


この夏はだいぶ私たちとの愛着が進んだ結果、里子は過去のことを沢山話すようになりました。ポロッと過去のことがふとしたきっかけで出てきて、その後過去の思い出に囚われます。そういう時里子は非常に不安定になります。



普通の子供のようになってきた。と思ったら、その想いが全くひっくり返されるような行動を起こしたりします。


そういう時は、私がこの子を傷つけないと頭ではわかってるのに私のことを怖がります。肩をぽんっと叩くだけで肩が持ち上がり、ガチガチになります。なのに抱きついてきます。
笑いながら泣いたような顔で癇癪を起こします。チグハグな感情と行動を見せます。



1番悲しいのが、この子は自分のせいで虐待をされたと心から信じてること。


自分が汚くて悪い子だから痛いことされた。


周りの子供たちの方が立派だと。自分は汚くて悪い子だと。そう信じ込んでいます。



親から虐待されていた子に語る絵本の中に、その主人公の子が、私は汚いダメな子なの。だから痛いことされるの。という節があります。

私の里子、その部分にくると大きく頷きます。

あなたは自分が汚い、自分が悪い子だと思ってるの?

もっと大きく頷きます。

そんなことないよ。あなたはいい子だよ。とってもまっすぐでいい子だよ。

と言ってもその言葉はしみこんでは行きません。


あまりにもひどい目にあっていたこの子の過去をここで明かすことは出来ませんが、

親から必要なものを与えられないばかりか痛めつけられると、人間はこんなにも自分も人も信じることが出来なくなってしまうということをこの子を通して実感しています。



この子が来てから自分の器の小ささ、度量の小ささ、自分の限界を感じずにはいられません。
自分に出来ないことが沢山あることを受け入れること。周りに頼ること。私はつい1人でなんでもやってしまう悪い癖があるので、まさに自分の弱いところと向き合わされています。


里子は自分が受けたトラウマのせいで私たちがいつかこの子を追い出すだろうって疑い続けます。


その疑いをはらいたくて、

ずっと家族にしてくれる?
ママのお腹にはいってやり直してもいい?


そんなことを聞いてきます。


その度に心が痛みます。



7ヶ月たって、暴力は格段と減りました。
しかし、毎日言うこと言うことウソをつきます。
一般的に里子によくある問題行動なのですが、ウソを言うことで何故か安全になると思ってしまっているらしいのです。

嘘がバレた時の方がずっとまずいんだよ、と何度も言っても聞きません。


ルールを教えるには何日も何日も同じことを毎回言わないと守れません。


でも今こうして書いていて気づきました。そうか。
前はルールが存在することも知らなかった子供なんだ。


これをしたらダメよ、というルールがなく、一貫性のない体罰をくらって生きてきたんだ。


つまり何しても体罰を受ける。何もしなくても体罰を受ける。何をしたら体罰を受けるかわからない。
だから、

だからとりあえず暴力をふって自分を守ろうとしたんだね。。。わかんないから。。

そう考えたらこの子はルールをまだ守れなくても、前に進んでいる。今はルールがあることは認識してるものね。



この夏にあった裁判の後、里子から養子の手続きに移る可能性が高くなりました。私たちがこの子を完全に引き取るという決断をくだせなかった場合、ソーシャルワーカーは新しい家族をさがさなくてはいけません。


この子の傷はいつか癒えて、傷跡を振り返ってみても大丈夫、生きていける。と思うことが出来るようになるのでしょうか。


私達にこの子と一生向き合っていくだけの度量があるのでしょうか。もし旦那が先に死んだら、私が先に死んだら、私ひとりで/旦那ひとりでこの子を育て上げていけるのでしょうか。


私たちの決断がどうなるかはわかりません。
答えが出るように祈り続けて
それまでは毎日また続けることしか今は出来ないのでしょうか。


最後に良い変化のメモを。

笑顔が増えました。
目を見ることが増えました。
トイレのおもらしが減りました。
いろんな食べ物を食べれるようになってきました。
夜寝るのに添い寝をしなくても寝れるようになってきました。
言葉が確実に増えました。
数は25まで数えられるようになりました。
簡単な足し算ができるようになりました。
赤ちゃん返りが減りました。
気持ちを表現出来ることが増えてきました。
上手に抱っこされるようになりました。(きっと抱っこをされることが少なかったのでしょう)
ハイキングで5キロ歩けるようになりました。
階段を交互に降りれるようになりました。
挨拶ができるようになってきました。
フォークの持ち方がだいぶ良くなってきました。
幼稚園に入りました。
先生の名前を覚えられるようになりました。
お友達の名前を少しずつ覚えるようになりました。


頑張れ里子。
私頑張れ里親。


ほんとにめちゃめちゃな文章ですが
私の頭もめちゃめちゃなのでお許しあれ。


もー今日もクタクタです。

里子が来て4ヶ月(過去の記録)

なかなか忙しく、下書きを書いたままにしてあるものが何個もあったので、後で振り返るために里子の記録をアップします。


これは3ヶ月前に残した記録です。



‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

里子が来て4ヶ月、記録として成長したことを書き留めます。

 

マメタ氏を優しく扱うことができるようになりました。

一人で遊べることがだいぶ増えました。

暴力はほぼなくなりました。

鼻を噛むのが上手になりました。

甘えたい時にだっこしてと素直に言えることが増えました。

目を見てくれることが増えました。

ニコッと自然に笑えることが増えてきました。

トイレで自分でふくことがだいぶ上手になりました。

アスパラガスやレタス、トマトをだいぶ食べられるようになりました。

ものを投げたい衝動に駆られた時、それを抑えることがほとんどになりました。

数が15まで数えられるようになりました。

アルファベットが四文字くらい書けるようになりました。

想像のお話を作れるようになってきました。

塗り絵がだいぶ線に沿ってできるようになりました。

スプーンやフォークをだいぶ上手に持てるようになりました。(2歳児程度の持ち方ですが。)

お友達と上手に遊べるようになってきました。

言葉はまだ遅れているけれど、5-8語くらい使った文章を話せるようになってきました。

色々な感情があることを学びました。

人の気持ちを察することが少しずつできるようになってきました。



 

この1ヶ月ですごい成長を見せました。

子供の脳って本当に凄い!特にこの1週間ほどで私たちに対する愛着が少し落ち着いてきたように思います。安心し始めているのでしょう。暗闇で寝るのがだいぶ怖くなくなってきたようです。それでも寝かせるのには1時間半ほどかかり、その間音を立てるとすぐに不安になってしまいます。7:30-8-9:00まで、家事も何もできません。それでも暴れることはなくなってきました。

 

まだまだまだまだ大変ですが、普通の子っぽい癇癪も増えてきました。物なげられたりつばはかれたりされることのない癇癪は、全然楽ちん。余裕です。(笑)


まだあーそーびーたーいーー。


とか、


公園行きたいーーー!!


とかで癇癪起こされても、むしろ、何この子供らしさ!カワイイ!と思うようになりました。笑


少し乱暴なお友達のことを、あの子乱暴だからなあ〜。なんて言うようになってきました。


お前が言うか!!と心の中でつぶやく母。


学校(3時間の保育園)が始まりました。

そして学校がない日のことを既に喜ぶようになりました。。。ガックリ。


しかし学校でよほど気を張っているのでしょうか、家でおもらしが増えました。ガックリ。


とまあほんと一進一退な部分もありますが、子供らしくてかわいい!って思う時間が増えたのは嬉しくてしょうがありません。


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以上が4ヶ月の記録。記録に残しておきたくて載せました。あとから読むと、こんなだったっけー!と過去を振り返り、ちゃんと前に進んでることを確認できるので載せていきます。


7ヶ月たった今これを読むと、この頃はまだ目をやっと見てくれるようになったとこだったのか。

少なくなってきてはいても、まだ物投げてたのか。

普通の癇癪がやっと始まった頃だったのか。(それまではすぐに暴力だった)

など、ほんとに成長してることがわかって嬉しくなります。たった3ヶ月前ですが、もう6ヶ月くらい経った気がします。


続けて7ヶ月目の記録を忘れないうちにアップします。




日本の夏の音

里子が我が家に来て6ヶ月。
なんちゅーしんどい長い6ヶ月だったのでしょう。

最近虐待の色々がポロポロと里子の口から出てくるようになり、正直言うとけっこう辛い日々を送っています。ブログを読む暇も、精神的に落ち着いて文章を考える余裕もありませんでした。


この子が体験してしまった数多くのトラウマ。この子を傷つけた人たちへの怒り、こうした子たちが世の中にはたっくさんいるということへのやるせなさ。自分の無力さ。この子を育てていくという自信のなさ。いろんな気持ちが混ざりまくって私の頭はいっぱいいっぱいです。



先日自分の誕生日を迎え、日本にいる幼なじみの友達が誕生日に連絡をくれました。私が今とても大変だということを伝えると、時間がある時に話さない?と言ってくれました。話聞くよ〜!と。


最後に会ったのは3年前。当時田舎暮らしを始めた彼女を日本に帰った際に訪ねたのが最後です。


日本の緑の山々が美しい田舎で環境にも体にも優しい生活を始めた彼女を誇りに思いました。
彼女のおうちに泊まらせてもらい、時差ボケで朝早く起きた私は清々しい空気に誘われて外に出ました。


深い緑の匂い。
日本の山の湿気の匂い。
早朝の青い空気と山々にかかる霧。
朝日が差し込んで明るくなっていく山。


自分の田舎でもないのに、田舎育ちでもないのに、なぜか帰ってきたわ!!と思い、山の美しさに涙しました。


その彼女と電話で話していたら、電話の奥からつくつくほーしつくつくほーし、という声と、カナカナカナカナというヒグラシの声が聞こえてきました。


この音、ほんとに日本の夏の独特な音だと思うのです。


彼女の住む家の前には山から流れてくる湧き水が流れています。

そのチョロチョロという音とともに、木の葉のザワザワした音、なんかわからんけど虫の音、そしてセミの音が全部一緒に聞こえてきたのです。ザ・日本の夏!!と日本で育った人なら誰もが思う音。


思わず、ごめん、ちょっと外出てみて音聞かせてくれないかなあ?と頼んでしまいました。


このザ・日本の夏の音を聞いていたら自然と涙がぶわーーーっと出てきてしまいました。

日本に帰りたい!


この半年頑張ってきて、第二言語で人種の違う子供を育てていて、日本食なんて食べれないからマックアンドチーズやらピーナッツバタージェリーサンドイッチやらばっかり作っていた私。

すっかりホームシックだったのねーーと気づきました。



自分でもびっくりしました。音の力。
匂いも記憶と強くリンクしてる、とよく聞きますが、音もそうなのでしょうね。日本の独特なあの夏の音は、私の脳内にしっかりとインプットされています。
子供の頃九州のじいちゃんとばあちゃんの家を訪ねた、幸せな夏休みの気分にさせてくれるのです。
彼女の住む美しい山や棚田、緑の匂い、肌にじっとりくる湿気。そんな感覚も一気に脳裏に蘇ります。ああ、縁側でスイカ食べながらお茶飲んで、畳でねっころがりたい。



翌日この優しい優しい友達は近所の田んぼで音をわざわざ録音して送ってくれました。
疲れていた私はこの音と蘇る記憶に助けられました。
友達にとっても感謝しています。




さて、私はこの素敵な音や楽しい夏休みの記憶に助けられたわけですが

うちの里子は虐待をした人に似ている人を見たり
手を引っ張られたり、
ドアを閉められたり、
大きな音がする度に彼の脳裏には嫌な記憶が蘇ります。

置いていかれた。食べ物がなかった。高速道路の下で寝た。 逆さ吊りにされてベルトで鞭打たれた。

そういう記憶は体に反応として残っていて

五感と強くリンクしているわけです。

これをトリガーとトラウマの世界では呼んでいるようです。


記憶って素晴らしくもあり、やっかいでもありますね。そして私たちは五感すべてを使って脳裏に足跡を残していきます。残したくても残したくなくても。


いい思い出だけ残して嫌な記憶は捨て去ることが出来たらいいのになあなんて。


私に出来ることはこの子に楽しい幸せな記憶を残してあげることなんですよね。五感が脳に嫌な記憶を思い出させても、それを塗り替えていく。一つずつ。ゆっくりゆっくり。



私は友達の送ってくれた日本の夏の音を聞きながら心を落ち着け、
頭の中で縁側でお茶を飲みつつ、ゆっくりゆっくり続けていくしかない。

と思うある夏の終わりの夜でした。

ちょっと思い出話

 イエローストーン国立公園はいつか行ってみたい場所の一つなのですが、最近ガイザー(間欠泉)が活発になって湯量も増えているというニュースを見ました。

 

いつ大噴火が起こってもおかしくないと言われているイエローストーン。

チキンの私はしばらく行かないかも知れません。(笑)

 

ハワイ島も噴火してるし、いつ何が起こるかは私たちには計り知れませんね。

 

イエローストーンとハワイ、と来ると、私には忘れられない思い出話があります。

 

 

今から10年前の夏、母が急に脳出血を発症して病院に運ばれました。

 

仕事の後に友達と呑気にカラオケをしていたら姉から電話があって、母が倒れたこと、意識もないこと、医者から危ないかもしれないから家族を呼ぶように言われたことを知らされました。

 

独身だった私は、その当時のボスに電話をして、次の日の便で急遽日本に帰らせてもらうことになりました。

 

父をなくして5年たった頃でした。

 

私には姉妹がいるのですがみんなお嫁にいっていたので、独身は私だけ。

 

母がいなくなってしまうことを想像すると辛くて寂しくて悲しくて。。。1人になってしまう。そんな気持ちも入り混じっていました。

 

12時間の飛行機の旅が長く感じられ、飛行機が日本に近づいてくると、最悪の状況を想像してしまい、涙が止まらなくなってしまいました。

 

一人で飛行機に乗って泣いてるのはとても恥ずかしかったんですがなんせ涙もろい性格なので、抑えることが出来ませんでした。どうしようもなくなっていたら、隣に座っていた方が声をかけてくださいました。

 

「大丈夫ですか?何かあったの?」

 

ちょっと躊躇しながらもティッシュを差し出してきたのは、隣に座っていた恐らく60代・70代くらいの日本人のおじさんでした。

 

「すみません、涙が止まらなくなってしまって。」

 

「いやいや、急に泣き出したからどうしたのかなと思って。」

 

 

「実は。。。」

 

優しそうなこのおじさんに、母が急病でいつ危篤になってもおかしくないと言う事を伝えました。

 そしてごちゃごちゃ考えてしまっていたことを話しだしてしまいました。

 

母が死んだらどうしよう。死に目に会えないかもしれないと考えると泣けてしまう。。そして母が生き延びても重度の障害が残ったらキャリアよりもきっと母親を介護することを選択する気がすること。留学を終えて最初の仕事についていて、今の仕事が好きで続けたいこと。このままキャリアをアメリカで重ねたいこと。そんなことをゴチャゴチャ考えてたら涙が止まらなくなってしまったことを説明しました。

 

少し間を置いて、おじさんはご自分のお話をしだしました。

 

おじさんは神奈川県にある小さな私立大学で教授をしている人で

専門は温泉学だと。

 

おじさんは若い頃、温泉学を学ぶためにフランスへ留学していたこと。

 

フランスの留学中にお母さんが倒れたという手紙が届いたこと。

 

その頃は飛行機なんて乗れなかったからシベリア鉄道と船を乗り継いで日本に急いで帰ったこと。

 

旅に時間がかかりすぎたその当時、おじさんはお母さんの死に目に間に合わなく、そしてフランスに戻ることはもう出来なかったことを語ってくれました。

 

自分の夢であった留学も志半ばに諦めざるを得なかったこと。母の死に目に間に合わなかったこと。とても悔しくて辛かったと語ってくれました。

 

 

 

その話を聞いて、心が痛みました。それと同時に一昔前は留学がどれたけ一大事だったか。行くのも帰るのも今よりどれだけ強い意志が必要だったか。若かった頃夢を叶えたかったおじさんがどれだけ悔しい思いをしたか。今この時代に海外に住んで好きな仕事で働くことが出来て私はどれだけ幸せものなのかということに気づきました。そして私と同じような状況で、でももっと辛い思いをされた方の話を聞いて、心を落ち着けることが出来たのです。

 

 

私が泣き止んだあと、おじさんは、アメリカではイエローストーンを見に行っていたと教えてくれました。

 

そして温泉に関する色々なことを話してくれ、世界の三大ホットスポットの話をしてくれたのです。

 

もともとそういう話は大好きなので、興味深く聞かせていただいて、世界の三大ホットスポットはハワイ、アイスランド、イエローストーンだということをおじさんから学びました。おじさんはアイスランドとハワイにはもう行ったことがあって、あと残りはイエローストーンだったからやっと夢が叶ったと、楽しそうに話をしてくれました。

 

辛いと思うけど、頑張ってね。と最後に声をかけて頂きました。

 

日本についに到着し、私は早々とおじさんにお礼を言って急いで入国審査に向かいました。

 

 

今でもあの時のおじさんのことは忘れられなく、そして何より私を慰めようとご自分の話をしてくださり、楽しいお話をして私の気を紛らわせようとしてくれた優しさを忘れられません。

 

 

去年アイスランドを訪れたこともあり、キラウェアが大規模に噴火して、イエローストーンが活発になったと聞いて、またおじさんのことを思い出した次第です。

 

 

いつか私もおじさんがしてくれたように、自然に人に優しく出来たらいいなあと思いました。

 

 

そんなちょっとした思い出話でした。

 

チャンチャン。

 

 

ちなみに私の母親は私が日本に着いた日は意識がなかったのですが、

一週間ほどして意識が戻り、意識が戻ってからというもの食べ物を催促する元気な患者となりました。

 

中度の障害が残ったため、結局私は自分のキャリアを中断して、2年間母のリハビリのために帰国することになりました。

 

母は一生懸命リハビリをして、2年後には自分でほとんどのことは出来るようになりました。障害は残っているし見ていて危なっかしいのですが、母がまたアメリカに戻って頑張っておいで、というので素直に甘えさせてもらい、アメリカに戻ってキャリアを再開する事になったのです。ありがたい事です。

 

 

あの時戻る選択をしていなかったらどうなっていたのだろう。

 

 

日本に帰らない、またはアメリカに戻らない。そんな選択をしてたらどうなっていたのでしょうね。人生にWhat ifはない。  今のこの道はあの時の選択なしでは有り得ない。

 

 

人生は、不思議です。

 

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 写真がないので綺麗に咲いた庭のバラを。

 

このバラは私に母性を思い起こさせます。私の母親っぽくは全然ないのですが!笑

 

この薔薇のように可憐で柔らかく、でも強く大きく!こんな薔薇が似合うおばちゃんにいつかなりたいと思います。。。。多分無理だけど!

 

 

 

里子

私たちの里子は育児放棄のみでなく、虐待を受けていた子供です。

 

乳児の頃から生みの親との愛着がうまくいっていなかったので、おそらく愛着障害があるのでしょう。

 

そんな里子と心を通わすのは至難の業どころではありません。難しい。悲しい。辛い。腹立たしい。私にこんなにネガティブな感情があったのか!と思うほどに私の心を引っ掻き回してくれています。

 

愛着障害のこの子のために、愛着をまず私たちとの間に作ることが今のセラピーの課題です。特に母親がわりである私との信頼関係を作ること。

 

これをしていく上で感じたことを詩っぽくまとめてみました。本当に文章能力低くて嫌になるのですが、どこかで表現していかないとやるせなくなって、悶々としてしまうので、書き下ろしてみました。

 

お付き合いしていただければ幸いです。

 

 

 

 

 

歳のわりに大きな里子

 

大きな体と必要以上についた筋肉

 

ほっぺは柔らかくてあどけない

 

ある時は2歳

 

ある時は乳児

 

ある時は10歳に変貌する

 

抱きしめてあげたい

 

抱きしめてもらいたい

 

かすかに感じる違和感と拒否感

 

 

 

母の温もりが欲しいだけなのに、たたいてしまう

 

母に抱きしめられたいのにつばを吐きかけてしまう

 

どうしたら愛を貰えるか分からない

 

何もしなくても愛されることを知らない

 

だから暴れてみる

 

そうしたら絶対かまってもらえるから

 

 

 

 

 

大きな体をゆりかごのように揺する

 

里子は赤子になり、母乳の代わりに哺乳瓶を精一杯吸う

 

ときどき目を開けて私を見る

 

私は微笑む

愛が伝わりますようにと願いながら

 

里子は気まずそうに目をそらす

 

それでも私を見る

 

母という存在が目の前からいなくならないことを確認したくて

 

赤ん坊のように抱かれ、哺乳瓶を必死に吸いつづける

 

 

小さな声でママ、ママ、と何度もつぶやく

 

 

その目は私を通り越してかつてママと呼ばれた人を見ている

 

 

産み落とした本人しか与えてあげられない確かなもの

 

その人はそれをこの子に与えることは出来なかった

 

 

 

生まれてきてくれてありがとう

 

幸せにしてくれてありがとう

 

かわいいね

大好きだよ

大丈夫よ

 

 

こんな言葉を聞くことはあったのだろうか

 

 

私は続けるしかない

 

大好きだよ

 

ここに来てくれてありがとう

 

楽しい幸せな時間をありがとう

 

私はあなたを守るよ

 

 

里子の壁に半ば乱暴に染み込んでいく言葉たち

 

 

その言葉は暴力と混沌と共にこの子を混乱させる

 

 

それでもかわいた砂漠に水が流れていくように

 

 

しおれた植物が元に戻るように、染み込んでいく

 

 

体から緊張が少し解ける

 

 

安心したい

 

でも出来ない

 

今日も怖い夢が訪れるのだろうか

 

明日は怖い日になるのだろうか

 

ここにいられるのだろうか

 

ご飯はあるのだろうか

 

どこに行くのだろうか

 

母はいなくなるのだろうか

 

怖いよ

 

眠いよ

 

怖いよ

 

ママ

 

 

また繰り返しの一日が始まる

 

 

私は続けるしかない

 

 

少しずつ根が広がっていっているから

 

根が深くなっていってるから

 

 

続けるしかない

 

いつかきっと芽が出て

 

葉が広がって

 

花が咲く日が来ると信じて

 

 

 

また1日を繰り返す

 

 

私は続けるしかない