思い出に浸るの巻 その3 ドイツ リューベック リアルドラクエ
さてさて、電車の旅の最初のストップはドイツの古都 リューベック。
ドラクエが大好きな私たち姉妹にとってはどツボ!
な中世の街でした。
世界の車窓からのタラッタッタータターララー♪という曲から、ドラクエの曲にテーマソングが移りました。(笑)
何てったって見てこの門(* ´灬` *)
どど〜ん♡♡
お姉さま、あそこの階段のそばを調べたらたぶん小さなメダルが落ちてると思います。
ドラゴンが現れた!
デーモンが現れた!
教会のタワーから街を見ていると、リンゴーン、リンゴーンと教会の鐘の音。
ヨーロッパにいるんだわ♡とうれしくなります。
中世の街だわ~~~~♡
小さなかわいい小道が沢山あり、小さなトンネルを通ると中庭に通じています。おとぎ話の世界みたい!
歴史地区を囲む運河にはボートがたくさんありました。
リューベックは貴族が支配していた都市とは違い、ハンザ同盟で栄えた都市だったそうです。北欧やバイキング達と貿易をして栄えたそうです。北欧からはシーフードを輸入し、ドイツからは工芸品などを輸出していたそうな。また世界でも早くに老人や障害者のための施設を建てた都市でもあります。
1260年代に建てられたこの病院・療養所。見た目もかっこええ。
残念ながらこの日は月曜日で中が見れませんでした。
印象的だったのがこの街の人たちもデンマークの人たちみたいに自転車によく乗ってるということ!次の日に朝の散歩に出たところ、小学生も中学生くらいの子達もそして先生達もみんな自転車で通っていました。
車で送り迎えをしないといけないアメリカに比べて、環境にも健康にもいい。羨ましくなりました。これに関しては日本も素晴らしいですよね!
ワンコ達を散歩している人たちもたくさんおり、森の中を歩いてる人たちも沢山いました。
散歩した森の中から教会のタワーが見えた。
赤っぽいリスがいたり、どんぐりや、色の変わった葉っぱが風に乗って降ってきたり、秋を感じることが出来ました。
ちなみにこの町の教会ではバッハがオルガンを弾いたらしく、レリーフが残っていました。
それにしてもこのバッハ一本指で弾いとるし
お付きの人、気まずそうにそっぽ向いとるやん。
もしやバッハ下手だったのかしら?
なんて疑ってしまうレリーフでした。笑
姉によるとこの日23000歩も歩いた私たち。
なんせ1日の滞在なので見れるだけ見ておこうと歩きまくったのでした。足はクタクタでしたが!
次の日はハンブルクによるかよらないかで迷いましたが、近代的な都会より古い都市が好きな私たち。
近代都市は飛ばしてブレーメンに行くことにしました。
ホテルはリューベックもブレーメンも、ドイツのチェーンホテルで1泊100ユーロ程で3人同じ部屋で泊まれました。安くすんだ!そしてドイツ、基本的にどこも綺麗で助かります!
ブレーメンはこれまた面白い街だったので、次に続く!
思い出に浸るの巻 その3 デンマークからドイツへ電車とフェリーの旅
デンマーク三日目は移動日。
コペンハーゲン中央駅でドイツ行きのチケットをまず購入。駅構内でコーヒーとパンなど、電車内で食べるものを調達しました。全部で4時間くらいの旅だったかな?
国をまたぐ電車は自動切符売り場では買えないので、カウンターに行って買いました。
ヨーロッパ人のすごいなーと思うところは、みんな英語をしゃべれるということ。
たまにしゃべれない人もいますし、英語わからない人は逃げていったりしていましたが、特に若い世代はみんな英語しゃべれたので助かりました。
とにもかくも、デンマーク・ドイツ・オランダを巡る電車の旅のスタートです。
世界の車窓からのテーマ曲が頭から離れず、姉と歌いまくっていたので、旦那にも移ってしまいました!
しかしデンマークの車窓からの景色、楽しみにしていたんですけど、ちとつまらなかったです。(笑)
なぜかというとほんとに平坦なのです。高低差がなくって、山がない。ずっと森か平坦な農地が続きました。緑に飢えてる私にとってはそれでもうれしかったですけどもね。日本は狭い土地ながら車窓からの風景もっと楽しいな~なんて思っていました。
電車はとっても快適で、大きな窓から景色をみることができました。
となりのブースには同じくアメリカは北カリフォルニアからきた初老のカップルとそのお友達が乗っており、楽しい会話を楽しめました。アメリカ人は基本的には他の国に対する知識や興味がない人が多く、政治や歴史の話を楽しくできる人ってあまり会わないんですが、彼らはいろいろなことを知っている方たちで話していてとても勉強になりました。一人はドイツに永住している人でした。日本のことも聞いてきて、日本の今の天皇はいつリタイアするの?など時事にも詳しいようで、とても楽しかったです。基本的には今のアメリカの政治にたいする文句の話をいっぱいしましたが(笑)
彼らの住んでる地域はこの旅の一か月後かつてない火事に見舞われてしまいました。
連絡先などは交換しなかったんですが、無事にいてくれることを願うばかりです。。。
さて、国境=海を渡るときが近づいてきました。何個か手前の駅で電車は切り離しが行われていて、短くなっていました。海の手前にはデンマークの旗がありました。
さよならデンマーク!!
ゆっくりゆっくり電車がフェリーに入っていきました。
ゲートが閉まると、車掌さんが回ってきて、はいはーい外でてくださーい。貴重品は持って行ってくださいね~~と見回りに来ます。
そして乗客はみんなフェリーに移ります。
フェリーはとっても大きく、カフェテリア、ギフトショップ、コーヒーショップなどがあり、デッキでもくつろげるようになっていました。
反対路線のフェリーが過ぎていく。
ドイツが見えてきました。
どこへいってもビール好きな旦那。私はあんまり飲めないので味見だけ。おいしかったです。
さて、旦那がビールを、私たちがコーヒーを飲み終わるころ、場内アナウンスで車内に入るように言われました。たしか英語じゃなかった気がします。デンマーク語でもドイツ語でも全く分からない私たちはとりあえずみなさんの群れに乗って電車に戻りました。
電車に戻ると普通~~に電車が動き出し、外にでて、普通~~にまた電車の旅が始まりました。。。。。楽しい♪♪
こんにちはドイツ☆
私はドイツには前に一度仕事できたことがあります。その時もすごく楽しくて、また来たいな~と思っていたのでうれしかった。前はベルリンとニュルンベルクでしたが、今回は北ドイツ。どんなところなのか楽しみです。
デンマークとあんまり変わらない農地の風景が続きました。
この日はドイツに入って確か二番目の駅(一番目だったかも)、リューベックに宿をとっていました。アメリカ人の短い旅仲間はハンブルグへ行き、そのあとはケルンに向かうということでしたので、リューベックでお別れです。
リューベックはドラクエが大好きな私たち姉妹にとってツボすぎた街でした。写真ありすぎるので、また次回にします。
続く。
思い出に浸るの巻 その2 デンマーク編 2日目
思い出を書いてるだけで現実逃避でとても楽しいです♡
旦那が里子をシャワーに入れて寝かせている間に書いちゃおう♪
お皿洗いは・・・・・あとでやろう・・・・
そんなわけでデンマークはコペンハーゲン2日目。
日本から来た姉と無事に合流してコペンハーゲン観光です!
普段から旅行慣れ夜更かし慣れしている東京人の姉は余裕そうでしたが、明るい太陽とともに規則正しい生活をしているカリフォルニア人の私たちはなかなか時差ボケがつらかったです。
でも気合を入れて観光!
バスが沢山あるし、コペンハーゲンシティパスを空港でGETしていたのでバスも電車も乗り放題でした。なかなか便利だったし、元もとれたかな。
このバスに乗って中心街へ。
Norreport station という駅で降りて、街歩きをすることにしました。
こんな感じの広場に到着。
古い建物。大学の図書館として使われているそうな。
大学のそばには市立の図書館があり、そこに隣接されていたコーヒー屋さんで飲んだコーヒーとデニッシュがすごい美味しかった♡
こんな街並みが続く。
フリーマーケット発見!かわいいものたくさんあったけどなんせバックパックの安旅だったので買うことはかなわず。。。。
こんな自転車がたくさん。小さな子供やペットを入れて皆さん自転車乗ってました。
どこにいっても自転車置き場がたくさん。
大きな運河を渡ってアンティーク地域に向かいました。
なんと残念なことにこの日はアンティークのお店はまったく開いていなく、次の日は開くということでした。
次の日にはドイツに向けて出発したかったので仕方なく諦めました。ガラクタ置き場のような店内に宝の山が~~~~。かわいいランプシェードとか、椅子とか、カトラリーとかなんだかかわいいものがたくっさん外から見える。。うーん。ぜひまた戻ってこなくては。
いちおう有名なニューハウンにもよりました。
人混みが苦手な私たち、観光名所は素通りで、あとはてきとーにブラブラ歩きました。
私たちが気に入ったのがこの地域。クリスチャンズハウン。道がほとんど石畳で足がすんごく痛くなりましたが街並みがかわいかったです。
石畳とコケ。南カリフォルニアでは絶対にみないので私たちにとっては新鮮です♡
一日歩きまくって疲れ果てた私たち。
Norreport駅にあった美味しそうなファーマーズマーケットに寄って、夕飯は自炊することにしました。
このマーケットステキでした~~!魚介類からお肉からチーズから、ワイン、地ビール、野菜果物、パン、デザート、何でも売っていました。
このプルーン。たくさん売っていました。おいしかった。
そしてヨーロッパに来ると思うこと。パンとチーズやっぱりうめえ~~~。
日本のパンも好きですけどね!チーズはほんとにヨーロッパがおいしい!
とにかくこのマーケットとっても楽しかったです♪試食もいっぱいできたし。
有名なオープンサンドイッチ。食べたかったけど買わなかった!後悔!
私たちはラムとポークチョップ、野菜、パン、チーズとワイン・ビールを購入。
お肉屋さんで働いていた男の子がめちゃくちゃハンサムで、姉と一緒に惚れ惚れしてしまいました。さわやかで優しかった♡
サービスもすごくよくて、お肉を私たちの希望する厚さに切ってくれ、ハーブ(セイジ、ローズマリー、タイム)と、塩コショウ、オリーブオイルと一緒に真空パックに詰めてくれます。おうち帰ったらそのまま焼くだけ♪
この日に買った材料達。
ごはんできあがり~~。お肉もやっぱりヨーロッパ、おいしい☆
次の日の朝出発だったので、残っちゃわないか心配だったのですが見事すべて完食しました!
私たちの弾丸旅、コペンハーゲンのハイライトはかわいい街並み、自転車、アンティーク(お店いけなかったけど)、雑貨や家具!!(これほんとにどこいっても可愛すぎました!)あとは楽しいファーマーズマーケットでした。
アイスランドに比べるとやっぱり都会でしたが人もみんな優しかったです。コーヒーとデニッシュは美味しかったし、食べ物も総合的においしかったと思います。
そして通貨。アイスランドほどではないですがデンマーククローネも高かったです。。
デンマークでかえたものは・・・・マグネットだけ。。。(笑)
いいもん。冷蔵庫に飾るんだもん。
さて次の日は12時くらいの電車でドイツへ向けて出発します。
ドイツとデンマークの間には海があります。バルト海。
ウフフ。この電車、フェリーにそのまま乗ってくれるのです。電車でフェリーにのるっていうのやってみたかったんだ♡
というわけで次回から電車の旅スタートです。
続く。
思い出に浸るの巻 その2デンマーク編 1日目
アイスランドを朝早くに発ち、コペンハーゲンに到着。たしか3時間くらいのフライトだったかな?
空港についてすぐに私テンションあがりまくり♡♡いちいちかわいいんだもの。空港のカフェのイスが!ランプが!かわいいのです。アイスランドもデザインがステキでしたがデンマークもとっても素敵。
空港から電車でコペンハーゲン中央駅へ向かいました。そこで日本からコペン直行で来る姉と待ち合わせの予定だったからです。
中央駅のシャンデリア
姉のフライトは午後到着。私たちはお昼に着いたので、駅周辺を観光しながら待つことに。しかしアイスランドでは時差ボケでほとんど寝れなかったために、眠い。街を1時間半ほど歩き回り、有名なチボリ公園も周りをぐるっと歩いて終了。
話には聞いていたけど、自転車多い!
姉と無事に合流して、Airbnbで予約した民泊のアパートへタクシーで向かう。
運転手さんには、あーそこらへんは移民が多いとこだねえと言われました。
ヒップなタウンってAirbnbには書いてありましたが、うん、中東とアフリカの移民だらけの地域のアパートでした。
アパートから見えるストリートアート。
それのせいか、移民の生活も垣間見れておもしろかったです。
だんなの印象に残ったのは、バス乗り場のベンチで、いかにもデニッシュの白人と、イスラム教の服をきた中東の人と、アフリカ系の黒人がならんで座っていたことだそうです。それほど移民に対してのヘイトを垣間見ることもありませんでしたし、見た目はみんな共存して生活しているように見えました。
もちろん住んだらいろんなことが見えてくるのでしょうが。
そんなわけで最初の夜は中東料理。
カリフォルニアで食べられるのよりぜーーーーーんぜんおいしかったっ!
そして移民のマーケットで売ってるものは安めだったので、たくさんのイチジクとプルーンを買いました。これがまた美味しかった!
(今回の旅は便秘にならなかったなあと思っていましたけど、イチジクにプルーン食べまくってたらそりゃならないか!
さすがデンマーク。泊まったアパートにおいてあったロイヤルコペンハーゲンのマグカップ達♡♡カワ(・∀・)イイ!!。。。。。。
カトラリーもいちいちカワ(・∀・)イイ!!
そのままお持ち帰りさせていただきたくなりましたが犯罪なのでやめました。かわいかったな~~。
コペンハーゲンは2泊。
次の日の観光は次回に続く。
思い出に浸るの巻 その1 アイスランド
里子が来てからというものの、私旅行で楽しい思いをするという夢をたくさん見ています。
里子が来る前の2017年、私はたくさん遊んでしまいました。里子来たら遊べないし〜、などとそんなことを言い訳にして(´>∀<`)ゝ
旅行の夢ばかり見るのは、今が大変だからそこに戻りたいという潜在意識があるのかもしれません。
私たち、去年の3月にはハワイに行き(カウアイ島とオアフ島とハシゴ)、5月には日本に帰り、9月にはヨーロッパ旅行(アイスランド、デンマーク、ドイツ、オランダを10日間で巡る弾丸旅行)に行くという私たちにしたらものすごい贅沢な1年を送りました。
( ・∇・) 貯金なくなりました。
なんでか分からないけど旅行に行かなくてはいけない気になり、呼ばれたから(誰に?)、と理由をこじつけて(?)楽しい1年を送らせてもらったのです。
ハワイは家族達と落ち合う家族旅行で、それはそれは楽しい時間を過ごしました。
ヨーロッパは好奇心を思いっきり掻き立てられ、自分がこの先どうやって過ごしていきたいかがよりはっきりした旅でした。
ハワイは家族旅行だったので写真も家族の写真ばっかり。なのでブログには残しませんが、ヨーロッパ旅行記は書いておきたい。
過去の思い出に浸って楽しむという完全自己満足目的で書かせてもらいます。
ヨーロッパ旅行でいった国その1アイスランド
教会のタワーから見た首都レイキャビク
アイスランドはここ数年観光業に力を入れているようで、最近はアメリカからやすーくいけるようになりました。私たちの飛行機はアイスランド乗り換えのコペンハーゲン行き。1人往復500ドル以下でした!
ヨーロッパの航空会社は荷物はいちいち料金がかかって、ご飯サービス足したらいくら、映画のサービス欲しかったらいくら、と、いちいち細かい料金が設定されており、航空券安い!と最初は思っても、実はそういうサービス全部含むと、あれ、別に安くないじゃん。。。っていうオチがあるのですが、私たちは高いユーロの旅に向けてほぼサービスなし、食べ物飲み物は水持参(ゲートに入ってから空の容器に水を入れる)で頑張りました!
さて、アイスランドは一泊で、次の朝デンマークに向けて出発でしたので短い滞在だったのですが、私とーーっても気に入りました♡♡
ホントは色々滝やら温泉やら巡りたかったけど、時間がなかったために空港から1時間くらいの所にある首都のレイキャビクを観光することに。
9月とは言ってもさすが島国。風が強い。普通にみんなコートを着ておりました。私たちはなんと荷物をコペンハーゲンまで受け取れないという大誤算があったために、私カリフォルニアと全く同じ服装しかありませんでした。寒かった~。
空港の荷物引き取りでまてどまてど荷物はでてこない。天井から突き出てるパフィンはアイスランディックの人々のおちゃめさを感じました。
アイスランドの印象をまとめてみました。
1. 人。人が優しい。なんか飾った優しさや作った優しさではなく自然に優しいのです。ハッキリとしているけど失礼ではなく、人のスペースにはズカズカ入り込まないけど政治的な話をスマートにできる。(お店の人、レンタカーの人、空港の人、みーんな英語ペラペラ) みんな民主主義や男女平等が進んでいる自分たちの国を誇りに思っている。そんな印象を受けました。ちなみに世界で初の女性大統領はアイスランドから誕生しています。
2. 自然。人口の少ない小さな島国のアイスランド。火山島なだけあって土が黒く、寒いので、大きな植物は育たない。でもその地熱や、豊富な水をしっかりと利用して、自然エネルギーで生活していました。環境にも優しく、国民の環境に対する意識も高そうでした。ゴミとか落ちてなかった!そして何よりステキだったのが、水道水が全部温泉水♡♡♡。シャワーも温泉水でポッカポカになりました。飲水もそのまま温泉水。少し硫黄の匂いがします。でもとっても美味しい。そのせいでしょうか、旅行中は必ず便秘になる私。無問題でした!!爆
3. デザイン。色んなところのデザインが素敵!!空港で売ってるものから、ATMのデザインから、ドア、窓、絵本、などなど、実はすごく素敵なのでした。おしゃれなカフェも沢山あったし、雑貨屋さんキュート!服も可愛いもの沢山あって、ものすごーーく好みでした。
空港のATM
街並みもカラフルでかわいい♪
4. 高い。物価は北欧より高し。これはホント甘く見てはいけません。アイスランドに行くならけっこーな散財は覚悟していた方が良さそうです。あとほぼ支払いはクレジットカードなので、現金は使わないかも。
コーヒー1杯8ドルはしたかと。でもおしゃれなカフェでした。
5. 食べ物はまずくはない。チョー美味しい訳ではありませんでしたが、シーフードが豊富なのが嬉しかった!コーヒーは美味しかった!やっぱりお水かしら?
たった16時間のレイオーバーだった割にけっこうな印象を残してくれたアイスランド。素晴らしい自然があるので、是非また行きたい国です。今度は絶対滝を見に行きたい!!
次はデンマークへレッツゴー。
私たちはコペンハーゲンで日本から来る姉と合流する予定。デンマーク家具が大好きな私。持って帰れないとは分かっていても、フリーマーケットに行くリサーチをしまくっていざデンマークへ向かいました。
続く。
私の黒猫 出会いから今まで
ブログのタイトル猫が入ってるのにあんまり話題にしてもらってない私の愛猫クロマメタ氏。
なので今日はマメタ氏がメインで!
マメタは私がまだまだ20代の頃、2004年に出会いました。
大学院に通い始めてすぐの頃でした。今からちょうど14年ほど前。
私の通った学校のPTのカリキュラムは8週間にわたる解剖学から始まりました。
新しい勉強ができる喜びと、落第したらいかんという気負いが入り混じった時期でした。 検体にありがたく思いながらも、人間の体を解剖するという作業にうへぇ〜となりながら頑張っていた毎日でした。四週間ほどたった頃にはかなり慣れてきて、毎日ホルマリンくさくなり、ノートもカバンにもホルマリンの匂いが染み付き、白衣にちょっと組織がつこうがなんだろうが、平気でラボでお菓子を食べれるようになったある日、建物を出たところでミャーミャー声が聞こえたのです。
茂みを見てみた所ちっこい子猫が2匹いるではありませんか。ありゃ〜と思ったものの、講義が始まるところだったので気にはなりながらも建物の中に入りました。三時間の講義が終わって外に出たところ、まだいるではありませんか。
ちっこい2匹は誰かがあげたらしい豆ブリトーを食べていました。1匹はグレイのきじ猫。もう1匹は胸のところが白い黒猫(アメリカではタキシードと言われます。)
私たちの大学がある所は砂漠気候なので、とにかく暑い!二匹いたうちのきじ猫の方はかなり衰弱している様子でした。他にこの子猫達に気づいた人が、「僕はこの子を引き取るよ。もう1匹の方は元気だし、この子のご飯を食べちゃうんだ。黒い方は意地悪だよ。」ときじ猫ちゃんを引き取っていきました。意地悪扱いされたマメタは1人茂みの中に残されたのでした。
私は2匹を見たときから黒いこの子に惹かれていたので、じゃあ私がこの子をとりあえず保護しようと決めました。その頃から超怖がりのマメタ。捕獲はちょっと大変でしたが、やはり衰弱気味だったので捕まえることが出来ました。
その頃ルームメートだった友達は動物好きではなかったので、ヤダヤダ言われたのですが、無視しました(笑)ちなみに昔からの親友なので許してくれましたけど。
家へ連れて帰り、とりあえず水を飲ませ、ノミを退治するためにお風呂へ。ダンボールにタオルと一緒に入れたあとマメタはすぐに寝てしまいました。
なんせ14年も前なので詳しいことは覚えてませんがそんな感じだったと思います。
里親を探したのですが、西洋には黒猫を嫌がる人が多いらしくて、里親は見つからず、(ルームメイトには、里親探す大した努力もしてなかっただろが!と怒られましたが)その頃には情がうつっており、そのまま飼ってしまいました。当時失恋したばっかりでさみしかった私。元から動物好きなので余計に飼いたくなってしまったのかも知れません。
マメタの名前は、豆ブリトーを食べていたことと、拾った時はちっこくて黒豆みたいだったことから来ています。
拾って2か月くらい経ったころの子猫のマメタ。 きゃわいい。。。。
マメタはその後スクスク成長し、まったくマメタという名前は似合わない、8-9キロ、体長頭から尻尾までは80cmのデカ猫になりました。
ソファを占領する1歳頃のマメタ。(このころは筋肉も隆々で毛並みもつやつや!青年ってかんじです。)
その後社会人になって1年ほどで母が倒れて日本に帰ることになり、知らない人に預けるのが嫌で、カナダに住んでる姉の所まで飛行機で連れていきました。カナダにいる間、マメは私の姪っ子の誕生を経験し、犬ともほかの猫とも生活しました。寒い冬を過ごし、長いドライブの引越しもしました。
私は2年後アメリカに戻ってきて旦那と結婚することになりましたが、まだまだ賃貸で猫を飼える環境にはありませんでした。
でも晩年の世話はやっぱり私がしてあげたくいということで、庭のある家に引っ越してきてからマメタを引き取りに行きました。計5年間も離れて暮らしましたがマメタは私を忘れることは無かったようです。
飛行機の移動はかわいそうでしたが、マメタは頑張ってくれました。
マメタにとって私はやっぱりおかあちゃんなので、マメタは私とはよく会話してくれるし、気持ちもわかってくれるし、外に出ていても、おいでーと言えばニャンニャンいいながら帰ってきてくれます。
夜中に足がつって痛がっていたら、すぐに寄ってきて心配そうにゴンゴン頭突きをしてきます。
悲しくて泣いていたりすると、そばで丸くなって寝てくれます。
私がピアノを弾いていると、そばで寄り添ってゴロゴロ言いながら聴いてくれます。
私にとっては、父が亡くなってまだ精神的に辛かった時期に大学院に通った3年間、国家試験の勉強中、失恋や、初めての職場や一人暮らし、母が倒れて大変だった時期など、とても濃かった20代を一緒に過ごしてくれた大切な存在です。
こんなに気持ちが通じ合える猫にはなかなか逢えないのではないかと思います。私にとっては世界一のネコです。
大切なマメタ。もう14歳だし、若い頃のようなエネルギーはないし、体もだいぶ鈍くなってきているけど、どうか長く一緒にいられますように、幸せな晩年を送れますように。。。(人´_`)♡
里子が来て3ヶ月 泥試合でいい
里子が来て3ヶ月が経ちました。
私たちの生活はなんと変わったことでしょうか。すべてが里子を中心にして回り始めました。
まずは忙しくなったということ。これはお子さんがいる家庭は皆さん忙しいのだと思いますが、里親になると、ソーシャルワーカーやカウンセラーとのミーティングやセッションが増えまくります。里子関連で週に4-5回は1時間から2時間の予定が入ります。
これに家族との面会が入ったら本っと忙しいことになります。
周りの人達の助けを得て、なんとかやっている私たち。里子の成長は凄いし、最初の2ヶ月と比べたら天と地の差なのですが、大変な時もまだまだたくさんあります。そして何より、昨日まですごい調子良かったのに何で!?と言うくらい逆戻りした時に自分たちの対応を戻すのが大変です。
後はまだ殴られると反射的に怒ってしまう自分がいます。彼は怒られるとトラウマが出てきて、過去をリプレイしてしまうのです。だから実の親がやらなかったこと、つまり怒らないで冷静でいることが大切だそうです。だけどこれが難しい。
考えたらラッキーなことに、私は誰からも暴力を受けたことがありません。小さい頃姉にビンタされたとかはありましたけど、あれは暴力っちゅーほどのものではないですもんね。(笑)
115cm25キロの里子。年齢の平均よりはるかにがっしりした体型です。思いっきり殴られたら怪我はしませんけど、普通に痛いです。
前のように爪をたてて引っ掻いたり髪の毛を引っ張ったりということは減ったのですが、パンチはまだまだしてきます。暴力に免疫のない私は殴られると心臓バクバクしてしまいますし、正直怖いと思ってしまうのです。
小さい子に殴られて何を怖がってるのか。セラピストには、あなたが里子ちゃんを抑えられると里子に示すことが大事ですよ。と言われました。こういう症状の里子は自分をコントロールして欲しいと心の底では思っている。何されてもお母さんは大丈夫よ。と。あなたのことは受け止めるわよ。とどーーんと構えることが大事と言われました。
言ってることはわかる。分かるんですが、むずしかしいんですけど!!!!!
という気持ちです。
最近知り合った日本の方で私よりも前からアメリカで里子を受け入れてらっしゃる方がいます。その方はほんとに優しくて暖かい方で、私よりも年齢の高い、難しい里子を受け入れた経験のある方です。
その方が泥試合でいいのよ。と言ってくださいました。その言葉にほんとに救われました。
私はこの里子を受け入れるプロセスが何か綺麗なものだと、綺麗なものにしなくてはいけないと勘違いしていたのだ、と気づいたのです。セラピストに言われるように完璧に対応しなくてはいけない。ソーシャルワーカーに言われたようにすべてに対応しないといけない。そんな優等生的な考えが自分を苦しめていたのだと気づきました。
汚くて、不器用で、何やってるのかわかってない。それでもいい。それでも何とか続けて家族になっていく。それがたとえ一時的な家族だとしても。
里親が里子のことを思って努力して、泣いて、笑って、真剣に里子と向き合って、諦めなかったということが、プラスの事実になれればいいなと。そう思えるようになりました。諦めることだけはしちゃいかん。受け入れたからにはできる限りやるしかない。泥試合でいい。泥団子でいい。イメージとして田んぼで相撲をしているイメージがわいてきて、これならやれるなっと思ったのです。怒っしまう時もある。こんのやろーーー!っておもってしまうときもある。
でも泥だらけになって相撲とったろうじゃないか!と思ったらスーッと気が楽になったのでした。
愛されていて幸せな子供の目はキラキラしてますよね。私たちの里子の目はキラキラしてません。
目はいつもどこか遠くを見ていて、現実を見たくないかのような目をしています。私の目を見ることはまだ苦手です。笑顔は増えてきましたが、私の笑顔に対して反応して笑うことはまだ1度しかありません。
この笑顔がそのうち心から心配のない笑顔になって欲しい。そしてその笑顔が毎日何回も見られるようになって欲しい。そしてそう願っていられるあいだはまだこの子の里親でいられる。そう自分を信じることもとても大切なのですね。
とっても濃い3ヶ月でした。これからどんなことが待っているのか。とりあえず里子の成長は楽しみですね!大変だけど頑張ります!😂😂
特に写真ないので伸びまくったパクチーの花に来ているミツバチ。普通は足についているミツは黄色いことが多いのですが、パクチーの白い花から集められているミツが紫!面白くて写真に撮りました。
てんとう虫も増えまくりです。
里子にコンポスト作りを植物のための魔法の薬、といって手伝ってもらいました。枯葉を細かくしたり、ぐるぐるかき混ぜて、楽しい作業でした。